アルメニア・アゼルバイジャン:ナゴルノ・カラバフ紛争 —紛争後も続く地雷による危険

11/07/2019

 

ナゴルノ・カラバフ紛争が多くの命を奪ったその日から25年経ちました。月日は瞬く間に過ぎたかのようですが、現地の人々は今でも過去の亡霊に悩まされています。地雷は、人を傷つけたり、死に至らしめる一番の原因となり、さらに郊外の耕作地には新たな地雷が埋められ、どこにあるか皆目わからない状態です。

 

地雷は無差別攻撃の爆発装置です。軍人も民間人も等しく犠牲になります。ナゴルノ・カラバフにおいてICRCは、747件の地雷被害を登録するに至りました。多くの地雷犠牲者が、何らかの障がいを負ったまま生活していることを思えば、人口14万に対してこの数字はいかに大きいかが分かります。それにも関わらず、適切なリハビリや治療が満足に得られないといった厳しい現実があります。

 

そうした現実に負けじと奮起して自立を目指し、将来の夢を叶えようと努力する人たちがいます。ロバートさんも不屈の精神を持つ一人です。

36歳の時、軍人だったロバートさんは友人を救出したところで地雷を踏みました。残念ながらその友人は死亡。ロバートさんは、友人と左足の自由を同時に失いました。絶望にさいなまされながらも、障がい者リハビリセンターに通ううちに徐々に希望を抱くようになりました。自身の強い意志と相まって、わずか半年で歩けるようになったのです。当初は、恐る恐る踏み出した一歩だったのが、今では誰の助けも借りず一人で歩くことができます。しかし、それまでのプロセスは容易なものではありませんでした。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 

今も続く治療の一環として、ロバートさんはジムを利用しています。エアロバイクに乗り、プールで泳ぎます。水泳は好きなリハビリメニューの一つ。海軍時代を思い出すことができるから、といいます。

 

「あきらめてはいけない。生きてさえいれば後はどうにでもなる」

 

 


ケガによっては全快は望めない場合もあります。若くてたくましいアルメンさんも地雷により半身不随となりました。1990年代のナゴルノ・カラバフ紛争当時、地雷除去部隊の司令官でした。慎重で細部までよく目が届くことから、正確に仕事をこなす人との評判が瞬く間に広がりました。一晩に地雷を平均60個発見し、無力化処理をしたと話してくれました。

 

「地雷除去兵がミスをしたらそれで一巻の終わりです。自分はあの時に死んでいたかもしれない。どうやってあんな仕事ができたのか今でも分かりません。蛇を捕まえるのと一緒で、噛みつかれるかどうかは運を天に任せるしかありません。」

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 

1995年、皮肉にも乗っていた車が地雷で吹き飛ばされ、脊髄に重傷を負いました。地滑りで家を失った上に治療費が重なり、全財産を失いました。その後ICRCから融資を受けて、収入を得る道を見つけることができました。家畜用飼料の製粉機を購入し、車いすに合わせて高さを調節しました。その後、村人へのサービスを開始。自身の努力や家族の協力もあり、2歳になる愛娘の励しを受けながら、日々の重労働も苦にならないようです。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 


ICRCが登録した、ナゴルノ・カラバフ紛争関連の地雷被害者のうち、523人は一家の稼ぎ頭として現役ですが、316人は年金生活者です。 グネルさんは、両足を失っても前向きにに生きることができると思わせてくれる、生きる証です。生活費を稼ぎ、子ども4人を育てるために一からの出直しとなりました。野菜の栽培、広大な畑の手入れ、商売のために町から町へと移動することは、グネルさんの生活の一部となっています。当時弱冠22歳だった青年は、1990年代の紛争中に自身の能力を発揮できませんでした。4人の子どもたちに同じ思いをさせてはならないと決意しました。妻と力を合わせ、子どもたちに高い教育を受けさせようと、生涯の大半を捧げてきました。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 

子育てが終わり、今度は自分のために性能の良い義足を購入。手に入れた新しい義足は、外出し、人に会い、自信を取り戻すきっかけをくれました。

 

「車いすで表通りに出ては、何時間も車の往来に目が釘付けになってしまうことがあります。車の早い動きを見ていると体がこわばり緊張します。村の人と話しもできなければ、畑仕事も手につかなくなり、妻を手伝ってやることもできません。克服するのは容易ではありません。」

 

 


地雷が爆発すると、老若男女、民間人も軍人を問わず、被害は甚大です。ゲイアンさんの夫は、牛の放牧中に対戦車地雷の爆発で亡くなりました。その地帯に地雷があることは分かっていたのですが、家族を養うためにあえて足を踏み入れ、危険と隣り合わせであるという感覚は半ばマヒしていました。

 

このような事故は、農作業や移動中の不注意で地雷を踏むことにより発生し、民間人が負傷する理由のトップです。悲しいことに、紛争後の方が地雷の爆発で負傷する人が多いのです。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 

夫を亡くしてからの生活はがらりと変わりました。ゲイアンさんは一家の大黒柱となり、2つの仕事を掛け持つため、町へ引っ越しました。娘に十分な教育を受けさせようにもお金が足りません。服飾デザインを勉強する娘のアンナさんのために、ICRCから融資を受けて、ミシンを購入しました。母と娘は、この投資が将来の家族の生活を豊かにすると期待しています。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 


親類縁者の中で地雷犠牲者はゲイアンさんの夫だけではありませんでした。当時20歳だった兄イシカーンさんが見慣れないものを拾い、うっかり落としたら爆発し、その破片が手や胸、目などに刺さりました。紛争が終わってからのことです。この爆発が無ければ人生は別のものになっていたかもしれない、とイシカーンさんの頭をよぎります。彼は、新たな人生を手探りで始めることになりました。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 

温室の建設や学校での仕事を経て、ガス会社で働きました。村では手先が器用だと評判になり、イシカーン親方とあだ名がつきました。小さな村で生計を立てるのは容易なことではありません。身体的な制限があるため、年を重ねるごとに工夫を重ねていきました。現在は溶接工となり薪ストーブを製作しています。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC

 

ここで紹介している皆さんは、肉体的、精神的、社会経済的な課題を克服しようと、大きく前進してきました。しかし、不発弾の問題は未解決のままです。それらは日々の生活を脅かし、紛争後数十年を経てもなお農作業、移動、開発の行く手を阻む要因となっています。

 

©Gohar Ter-Hakobyan/ICRC