A victory for humanity ~ 人類の勝利

お知らせ
2021.02.01

原爆ドームが描かれた布と数羽の折り鶴

核兵器の禁止に関する条約(核兵器禁止条約)が2021年1月22日に発効し、国際人道法の法規の一つとして新たに名を連ねました。

ここでは、条約発効に際して寄せられた被ばく者のメッセージとともに、赤十字国際委員会(以下、ICRC)のペーター・マウラー総裁と、日本赤十字社(以下、日赤)の大塚義治社長によるQ&Aをお届けします。条約が発効に至るまでの背景、そして人類が未来にわたって存続するための一歩についても語っています。

ICRCのペーター・マウラー総裁と、日本赤十字社の大塚義治社長

 

核兵器の禁止に関する条約(核兵器禁止条約)が2021年1月22日に発効しました。この条約の内容と意義、そして、発効に至った背景とは?

 
ICRCのペーター・マウラー総裁

2020年が幕を閉じ、私たちは新しい年の始まりに歴史的な一里塚に到達し、人類にとって大いに歓迎すべき勝利を手にしました。国際法上初となる、核兵器を包括的に禁止する多国間協定の効力が発生したのです。 “核兵器被害についての証言”が論拠となり、それらをもとに国際社会が70年以上続けてきた取り組みの集大成です。

1945年、広島と長崎への原爆投下から数週間後、両都市にもたらされた苦しみと破壊を目の当たりにしたICRCは、第一次世界大戦の直後に非合法化された毒ガス同様に、核兵器も全面的に禁止すべきだと訴えました。その数カ月後、国連総会で 「国家軍備からの核兵器など大量破壊に適用しうる兵器の廃絶」 を求める決議第1号が採択されました。

以降、核兵器の使用を禁止する規範が徐々に具体化されていきました。1967年には、ラテンアメリカおよびカリブ海地域において、世界初となる非核兵器地帯条約が署名開放されました。そこから、同様の条約が、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアの4つの地域でそれぞれ成立しました。1968年の核兵器不拡散条約は、186の非核兵器国に核兵器の取得を禁じるだけでなく、核兵器を廃絶するよう国際社会にも法的義務を課しており、いまもって核軍縮・核不拡散の根幹を成しています。一方、核兵器実験に関しては、その人道上の被害や環境への影響を訴えることで、1963年に部分的核実験禁止条約が、その30年以上後に包括的核実験禁止条約が署名開放されました。

このような苦労の歴史を経て勝ち取ったのが、核兵器禁止条約です。この条約は、国際法規範として適用され、現在116カ国が名を連ねる非核兵器地帯条約を補完します。また、署名開放から25年の時を経ても今なお発効に至らない、包括的核実験禁止条約も補完します。核兵器禁止条約は、法的に核兵器を廃絶するための道筋を示すことで、既存の核軍縮義務、特に核兵器不拡散条約第6条に基づく義務の履行に向けた確かな一歩となるものです。さらに重要なのは、核兵器の実験・使用による犠牲者の援助、また汚染された環境を修復するための援助が必要となることを予測し、核兵器による壊滅的な人道上の被害について、明確かつ直接的に触れていることです。

 

奇跡的に生き残った日赤の医療従事者たちは、自らも放射線の脅威にさらされながら被ばく者の救護にあたりました。原爆投下直後に始まった救護活動の内容、そして核兵器廃絶に関する赤十字の取り組みとは?

日本赤十字社の大塚義治社長
広島にある赤十字病院は、人類の強靭さの証ともいえます。核施設である爆発の爆心地から二キロも離れていないこの病院の主要構造物は、壊滅的な被害を受けながらも、1945年の8月6日の爆発を耐え抜きました。病院は赤十字旗を掲げ、無数の被ばく者を収容し、看護しました。

その3日後、長崎に投下された2発目の原爆投下直後には、赤十字の救護班が被爆地に駆け付け、被ばく者の救護活動に従事しました。日本赤十字社と核兵器の関係はまさにこの瞬間に遡ることができます。広島と長崎の赤十字病院では現在も被ばく医療活動が続いているよう、この現実は、核兵器の影響が時代を超えて影響を及ぼし続けていることを示しています。

しかし、核兵器の被害に遭ったのは日本だけではありません。広島・長﨑への原爆投下後も、世界では2000回以上の核実験が行われ、実験場とされた国々の人々が被ばくしたほか、日本においては1954年、マグロ漁船の第五福竜丸の乗組員がマーシャル諸島のビキニ環礁での核実験で被ばくし、大きな社会問題となりました。核爆発の影響が時間的にも空間的にもコントロールできないことは明らかです。当時の島津忠承日赤社長はその回顧録の中で次のように記しています。

私の頭の中には、他のすべての国が核兵器の恐怖を叫ぶことに、ためらいを感じたり、あきたり、反対したりしたとしても、日本だけは、それを叫び続けなければならないし、日本だけがそれを叫ぶ権利がある、という思いが、いつもあった。」
(島津忠承著『人道の旗のもとに~日赤とともに三十五年~』講談社、昭和40年)


Voices of Hibakusha:被ばく者の声
 

広島市出身のサーロー節子さんは、13歳の時に被ばくしました。世界に平和の大切さを訴え続ける、核軍縮の象徴でもあります。

「原爆の犠牲となった人たちの死を無駄にしないよう全力を尽くすと誓いました。気力と勇気をふりしぼってこれまでやってきました」

サーローさんは2017年、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)を代表してノーベル平和賞を受け取りました。

「原爆投下に携わった人たちに復讐したいなんて思ったことはありません。あんなつらい思いを、この先誰一人として味合わせたくないんです。この国際法により、核兵器が『違法』『非合法』となり、『禁止』されました。今は喜びと達成感でいっぱいです。この素晴らしい成果を噛みしめています。でもまだやるべきことは山積みです。今は『禁止』ですが、これを一歩一歩『廃絶』に近づけていかなければなりません」

その目標達成のためにも、サーローさんは若い世代に期待しています。

「考え、話し、議論して想像力を働かせましょう。そして、十分に理解できたら、学んだことを役立ててください。何も言わないなんてダメです。知識をもって政治家や議員ともどんどん語りましょう。政治に関わることに抵抗を感じる人は多いかもしれませんね。でも、私たちのやることなすこと、ほとんどすべてが政治に直結しています」

「世界をより良くして次の世代に引き継ぎたいんです。それは私たちの、人類に対する義務でもあります」

条約が発効したことで、核軍縮・核不拡散は今後どうなっていくの?

ICRCのペーター・マウラー総裁

核兵器の禁止と全廃を訴えてきたすべての人にとって、条約発効は重大な成果であり、意義深い勝利を意味します。それと同時に、新たな取り組みの幕開けでもあります。条約発効は私たちの最終目標ではありません。2021年1月22日時点で、条約に署名している国と地域は86で、そのうちの52が批准していますが、すべての国が条約に参加するまで私たちの仕事は終わらないのです。

条約が核兵器のない世界を瞬時にもたらす、といった期待をしてしまうと、のちに落胆することになるでしょう。この条約の役割は、その存在意義を正面からとらえることで見えてきます。つまり、包括的な核軍縮・核不拡散の実現に向けて時間をかけて取り組む上で、この条約が道徳的・法的な出発点となりうるということです。国際法はそのように機能するものです。

核兵器禁止条約の中で示されている禁止規定は、明確な基準を打ち立てています。核兵器のない世界の実現に向けられた、すべての努力の評価基準となります。 私たちはこれから数年、あるいは数十年にわたって、条約の禁止規定の遵守促進に取り組んでいかなければなりません。署名や批准に踏み切る国や地域が増えれば増えるだけ、条約が本領発揮できる素地が整っていくのです。

また、この条約は、人道的、道義的、そして体面的にも核兵器の使用をタブー視する、“核のタブー(禁忌)”を強化し、核兵器にさらなる烙印を押すことで、使用のリスクを削減することにも役立つでしょう。核兵器のいかなる使用も、道徳上、人道上、そして今後は法的観点からも許されない、とのシグナルを条約が明確に発信することで、締約国以外にも何らかの効果を生む可能性があります。私たちはこれまで、さまざまな国際条約が行動を喚起し、未締約国の政策にも影響を与える例を見てきました。核兵器禁止条約の発効に伴い、今後12カ月以内に最初の締約国会議が開催される予定です。決して途絶えさせてはいけない条約のシグナルを、会議を通じてより効果的に波及させる機会となります。

国際赤十字・赤新月運動は、核兵器禁止条約への支持を拡大するために今後どのような役割を果たしていくの?

日本赤十字社の大塚義治社長

核兵器禁止条約の前文では、核兵器の脅威と壊滅的な人道的影響についての世論喚起における国際赤十字・赤新月運動の長年の貢献が認識されました。

こうした取り組みの背景には、マウラーICRC総裁と、当時国際赤十字・赤新月社連盟の近衞会長(現・日赤名誉社長)のリーダーシップの下、国際赤十字・赤新月運動代表者会議で継続して採択されてきた決議や行動計画があります。その一つ、2017~2021年の「核兵器の不使用、禁止及び廃絶に関する行動計画」において、国際赤十字は、 「核兵器の全面的廃絶に向けた重要な一歩として、すべての国による新たな核兵器禁止条約の遵守及び完全な実施を促進する」 ことを約束しています。

核兵器が二度と使用されないことを確実にするための手段である条約の発効は、広島・長﨑の被ばくの経験が連綿と受け継がれてきたことの証しでもあります。その意味で我々には、特に次世代を担う若者たちに、この問題の関心を喚起する努力が求められています。広島・長崎への原爆投下から75年以上が経過しましたが、被ばく者の命を救う十分な人道的対応能力はいまだ存在せず、おそらく将来も存在しないでしょう。

被ばく者の実体験は、こうした取組の中心であり続けています。日本赤十字社は、核兵器の影響を誰よりも認識している人道支援団体として、その経験を次世代に継承していくことに貢献していきます。

Voices of Hibakusha:被ばく者の声
 

下平作江さんは10歳の時に長崎で被ばくしました。86歳の今も、原爆資料館で自身の被爆体験を日々語り続けています。

「人の命は、地球より重いと言われています。多くの人の命を奪ってしまう核兵器は、いかなる理由があろうとも、絶対使ってはならない。せっかく生き残っても、みんなから白い目で見られて、生きる力をなくしてしまう人たちがたくさんいます」

父は満州で殺害され、母を原爆で亡くし、妹は差別や貧しい生活を苦に自殺…戦争が下平さんの心と人生に深い傷跡を残しました。

「日本だけでなく、世界中の人たちに核兵器の悲惨さ、残酷さを知ってもらわないと、私たち以上の苦しみを味わう人がたくさん出てくる。この苦しみは、もう私たちだけで十分です」