仏教的視点からの捕虜の取り扱い

お知らせ 06/10/2020

ICRC主催の国際会議。世界中から仏教学者が一堂に会し、国際人道法と仏教の共通概念について議論。紛争下にいる人々の苦しみの軽減などを話し合う (コロンボ、スリランカ/2019)©ICRC

 

「戦場で千人に勝つよりも、己に打ち勝つ者こそ真の勝者である」(法句経 103)

 

赤十字国際委員会 (ICRC) は今年、捕虜の取り扱いついて定めたジュネーブ第三条約のコメンタリーを改訂しました。4つのジュネーブ条約と追加議定書は、国際人道法 (IHL) の中核となる条約です。IHLは「戦争法」「武力紛争法」としても知られ、敵対行為に参加していない、または、かつては参加していたがもはや参加していない人々の生命と尊厳を守り、戦闘の手段や方法を規制します。

 

第二次世界大戦後の新技術や法学の発展によって、現代の課題に対処する際のIHLの適用にも著しい変化がありました。この新しいコメンタリーは、ジュネーブ諸条約と追加議定書にまつわるすべてのコメンタリーを改訂するプロジェクトの一環で、最新の解釈を提示するものです。これまで捕虜を支援・保護してきたICRCの豊富な経験と、国際的な専門家の貢献による賜物です。

 

厳密に言うと、「捕虜」の法的な定義は、国vs.国による国際的な武力紛争下で捕らわれた者を指します。これには、軍の一員、軍に同行する者、侵入者に抵抗するため自発的に武装した非占領地の住民が含まれます。ジュネーブ第三条約によると、捕虜の拘束は、刑罰を与えるためのものではなく、再び戦闘に参加する機会を奪うことが目的。過去に戦争犯罪に及ぶ行為がない限り捕虜を罰することはできず、常に人道的に接し、暴行、脅迫、侮辱、公衆の好奇心から保護する必要があります。収容施設内の衣食住や衛生状態、医療に関して最低限の条件が定められていて、戦後は捕虜を速やかに解放し、本国に送還する必要があります。

 

しかし、現代の戦闘の形態は、一国内で武装勢力と対峙する非国際的な武力紛争が大半で、捕虜としての完全な地位と訴追免除は適用されません。しかし、1949年のジュネーブ諸条約の共通第三条と第二追加議定書は、非国際的紛争下で拘束され自由を奪われた者も、常に人道的に扱われなければならない、と規定しています。例えば、殺害や拷問、その他残酷で屈辱的な行為に対して守られているのです。

 

ジュネーブ諸条約の批准が比較的最近のこととはいえ、IHLのルーツは古代の文明や宗教に見ることができます。戦闘行為はこれまでも常に一定の規則や慣習で触れられていて、仏教も他に漏れず、その教えはIHLとの親和性が極めて高いことがわかります。ICRCは2019年9月にスリランカで、「紛争下の苦しみを減らす:仏教とIHLの接点」と題した国際会議を開催しました。

 

スリランカにおけるICRC主催の国際会議にて(2019)©ICRC


 

仏教が戦争を良しとしない姿勢は明確ですが、かといって戦争についての言及を避けるわけではなく、文学を通じてブッダ以降の時代に起きた戦争について多くの指針を与えています。仏教の経典では概して道徳的な教義が広範を占め、捕虜の扱いについて詳細な規定はありません。しかし、仏教的な見解を発展させて、人道的に慈しみと尊厳を持って捕虜に接する格好の実践例をいくつか見出すことは難しくないでしょう。人道的見地から、またさらなる紛争を戦略的に防止するうえでも、平和と他者の幸福に確固と貢献してきた仏教が捕虜の処遇に一条の光を差し向けるのです。

 

自他の苦しみの原因となる行動を慎むよう諭すブッダの一般的な教えに加えて、捕虜の適切な扱いについて具体的に言及した記述があります。神々の帝王であるサッカの前に、戦に敗れた敵が縄で縛られ連れてこられた話をひも解いてみましょう。戦に負けて暴言を吐いた敵に対して、サッカはなんら動揺することなく平然としていました。慌てた側近はなぜ反応しないのか尋ねました。神々の帝王は、その意外な振る舞いについてこう返しました。

 

強さを与えられた人間が
辛抱強く弱者に耐えた場合
人はこれを究極の忍耐と言うだろう

怒っている相手に怒りをもって応えれば
状況は自分にとってより不利になるだけだ
怒っている相手に怒りで返さなければ
その者は困難な闘いに勝ったことになるのだ

(The Connected Discourses of the Buddha、翻訳Bhikkhu Bodhi、出版Wisdom Publications、ボストン、2000年、322)

 

「ジャータカ23」には、王さまのための戦に勝った馬が、捕虜として連れ帰った敵の王7人を殺さずに命を助けてあげて欲しい、と王さまに懇願する話が収録されています。このように仏教では、戦の勝者は征服した敵に寛容であるべきだと考えます。復讐を否定する一般的な倫理原則とは別に、仏教の物語では、実践することが難しい倫理的行動が語られています。自制心に欠け、未熟な心が時に敵を手荒に扱い、立場を利用して処罰や虐待を実行する傾向がある一方で、仏教は道徳心を強め、本能を超越するよう奨励します。その理由は、生命を維持し、人生を生きる価値のあるものにするのは、憎しみではなく好意や優しさにあると考えるからです。戦争をはじめとした厳しい状況下において、捕虜となった敵兵に優しさや思いやり、寛容さを示せるまでの境地に達するためには、「流れに逆らい」(paṭisotagāmi) より遠くへと歩を進められるよう仏教徒は備えなければならないのです。

 

同様に、「法句経 137」では「丸腰の相手に暴力を振るう者」は因果応報の結果、大きな苦しみを味わい、武器を持たない者への暴力はとりわけ悪いことだと強調しています。敵の手に落ちた捕虜や被拘束者は誰しも極めて弱い立場に置かれるのは自明の理。囚われの身となった人々の扱いに関する仏教の考えも、戦時、平時を問わず、往々にして普遍的なのです。

 

「ジャータカ420スマンガラ」には、統治者である王は、荒ぶる感情に任せて敵を罰するべきではない、とあります。なぜなら、非道で行き過ぎた行為に終わる恐れがあるからです。「激怒に震える時、君主は不公平かつ不適切なやり方で他者に数多の苦難を強いる刑を言い渡してはならない」 (ジャータカ441) という王の考えが、彼の倫理政策にうまく反映されています。一方、仏教哲学者であるナーガールジュナ(龍樹)の「ラトナーバリー」 (「宝行王正論」または「 ラトナマーラー」) では、罪人の扱いについて王に説く内容の多くがIHLに合致します。

 

罪人がそれに価するからといって、決して処刑や縛りつけ、虐待を行ってはならない。思いやりの心を持ち、常に配慮を忘れず扱いなさい。

 

彼らが囚われの身にある間は、理容師を置き、入浴施設、食べ物、衣服、飲み物、薬などを思い通りに使えるように、幸福と快適さを彼らに与えなさい。

 

ほかにも、既存の法(loka vajja) に従うことが僧侶を含む全仏教徒にとって重要とされ、「anujānāmi bhikkhave rājūnaṃ anuvattitum, Vin. I. 138」には「僧たちよ、王(による法と秩序)に従って行動しなさい」と書かれています 。ジュネーブ諸条約のように広く批准された、戦時の苦しみを最小限にすることを目的とした条約も、これに該当すると考えられます。

 

スリランカにおけるICRC主催の国際会議にて(2019)©ICRC

 

仏教は、生きとし生けるものすべてへの無限の慈愛を奨励し、これには捕虜も含まれます。傷つけることを良しとせず、慈しみの心を実践するにあたり、仏教ではあらゆる生き物を一つの集団と捉えます。それは、「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」(法句経 129)と、考えるからです。

 

公共の場での道徳的な行いを積み重ねていくという、哲学的かつ倫理的な理由のほか、自分を他者の立場に置き換えるという上記の考え方は、ブッダの教えの中でも最も説得力があり、倫理的な見識の一つです。こうした考えが心理や感情に突き刺さり、人道的に慈しみを持って他者を扱うよう後押しするのです。

 

人間は、つながりや縁を持つことによって、相手に思いやりや慈しみの心を向けることができます。そのことを踏まえれば、捕虜にたとえた話を、全人類、ひいてはいのちあるすべての存在に対して当てはめることができるでしょう。ブッダは、悟りを開いていない者は己の内部に潜む敵と絶えず闘っている状態にある、と説きます。己の不浄を持って、人間はしばしば自分自身と対立し、輪廻転生(サンサーラ)の輪から抜けることができません。その意味では、勝者であれ敗者であれ苦しみを抱えることに変わりはなく、相手から慈しみと思いやりを受けるに値する、捕虜なのです。まさに、「己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」ということです。

 

Professor Emeritus Asanga Tilakaratne, University of Colombo
Professor Emeritus Peter Harvey, University of Sunderland
Dr Sunil Kariyakarawana, Buddhist Chaplain to the UK Armed Forces
Andrew Bartles-Smith, International Committee of the Red Cross (ICRC)