ICRCのなりたち

ICRCのなりたちと沿革についてご紹介しています。

沿革

アンリー・デュナン

アンリー・デュナン

1863年に創設されたICRCは、150年以上にわたって世界中の主な紛争地域で活動を続けています。負傷した兵士を自発的に助けたアンリー・デュナンの行いが、今では、戦争で傷ついた世界の何百万人という人々に手をさし伸べる組織にまで発展を遂げました。

また平時においても、ジュネーブ諸条約を充実させ、世界中に国際人道法を広める活動を行っています。戦争や暴力を発端とする非人道的な行為を抑制、禁止し、一人でも多くの人間の尊厳が守られるようICRCは日々活動を続けます。

 歴史

アンリー・デュナンによる赤十字思想の誕生

ソルフェリーノの戦い

ソルフェリーノの戦い

イタリア各地で激しい統一戦争が行われていた1859年、スイスの事業家であったアンリー・デュナンは、北イタリアの小さな町「ソルフェリーノ」で戦闘に遭遇しました。9千人もの負傷者が手当てされることもなく横たわっている惨劇を目にし、思い余ったデュナンは近隣の人々に呼びかけ、両軍の負傷兵の救援活動を行います。

ジュネーブに戻ったデュナンは、「ソルフェリーノの思い出」という本を著し、戦争で傷ついた人を敵味方の区別なく救う「赤十字思想」を誕生させます。この思想に4人のスイス人が賛同。1863年に赤十字の最初の機関として「赤十字国際委員会(ICRC)」の前身である五人委員会が結成されました。その後、1964年のヨーロッパ外交会議で最初のジュネーブ条約(赤十字条約)が採択され、近代国際人道法が誕生し、いくつかの国で赤十字社が発足しました。

活動規模が拡大した第一次世界大戦

1914年に起こった第一次世界大戦では、ICRCだけでなく、赤十字全体が大きく成長しました。各国赤十字社・赤新月社がかつてない規模で野戦病院へのボランティア派遣や後方支援を行う一方で、ICRCは活動の幅を戦争捕虜の保護や離散家族の支援にまで拡大。国際捕虜情報局を開設したり離散家族のための通信業務を行うようになりました。戦後は、大戦の遺恨や経済破綻、ナショナリズムの高揚が原因で多くの紛争が勃発。世界各地の紛争の対応に追われました。

一般市民への被害が広がった第二次世界大戦

第二次世界大戦後の様子

第二次世界大戦後の様子

第二次世界大戦では、飛行機による大規模な無差別爆撃などによって、一般市民の被害が激増。その結果、戦争犠牲者の数は一般市民が史上初めて兵士を上回ってしまいます。また、ヒトラー政権が特定人種の絶滅を目的とした人種戦争を展開。大量の市民を強制収容所に拘束しました。当時、国際人道法には捕虜の取り扱いに関する規則がありましたが、市民に関する規則がなかったため強制収容所に捕らわれた多くの人に対しての活動が制限されてしまいました。

国際人道法を広め犠牲者を減らす戦後の取り組み

第二次世界大戦時の教訓を踏まえて、1949年にジュネーブ条約が改正され、一般市民への保護や支援が拡大されたジュネーブ諸条約が成立しました。また、1977年にはジュネーブ諸条約を補完する追加議定書が規律されます。ICRCはこれらの法規則の起草に携わっており、時代に沿った保護と支援体制を維持するために、世界に人道的問題の解決を訴えています。

現在のICRCと駐日事務所の役割

ペーター・マウラー総裁

ペーター・マウラー総裁

現在のICRCは、最高統治機関である委員会、委員会の下部機関である評議会、そして執行機関である幹部会によって意思決定がされています。2012年7月に新総裁となったペーター・マウラーが、委員会と評議会の代表を兼務しています。活動資金は、ジュネーブ条約加盟国政府や各国赤十字社・赤新月社、国際機関などからの拠出金で成り立っています。ICRCの活動は世界で認められており、1901年にアンリー・デュナンが受賞して以来、これまでにノーベル平和賞を3度受賞しています。

駐日事務所は2009年2月に60 年ぶりに開設されました。人道的活動や国際人道法について、日本人の関心をより高めることを大きな任務の一つとしています。