赤十字国際委員会(ICRC)ユース代表活動の振り返り 髙垣慶太
2025年3月3~7日の5日間、米ニューヨークの国連本部において核兵器禁止条約の第三回締約国会議が開催されました。ここでは、第一回から赤十字国際委員会 (ICRC)ユース代表として毎回会議に出席している髙垣慶太さんの想いと、活動を振り返ります。髙垣さんに話を聞きました。
髙垣慶太さん ICRCユースとしての想い
私は、2022年6月にオーストリア・ウィーンで行われた第一回締約国会議に初めてICRCユース代表として出席しました。以降、毎回現地で貴重な経験をしています。
核兵器禁止条約の締約国会議は、1年半に一度のペースで開催されています。会期中は、条約に定められた事柄をさらに細かく定義づけたり、締約国や関係機関がどのように活動をおこなうのかを議論、決定します。会議が行われていない期間でも、「締約国を増やすにはどうしたらいいのか」「どのように被害者の援助を行うのか」など、トピックごとの小さな会議が定期的に重ねられています。そこで話し合われたことについて、次の締約国会議で報告されたり、何らかの決定がくだされたりします。このように、核兵器廃絶を目指して、長期的なスパンでの取り組みが継続されています。
私にとって、国際会議そのものに参加することもウィーンが初めてでした。広島と長崎でそれぞれ被ばく者の治療にあたった二人の曽祖父の実体験を起点として、核兵器の非人道性や補償問題などについて声をあげています。何より光栄なのは、本会議場でICRCが発表する提言文に私の見解が毎回取り入れられ、読み上げる役割も担わせていただいていることです(第一回締約国会議のリポートへのリンク)。赤十字パートナーやNGOが主催するサイドイベントにも登壇する機会を得て、他団体の参加者とさまざまに意見交換するのも、とても有意義に感じています。
第一回会議への参加を皮切りに、「もっと世界の核被害について学びたい」と思い、その後、核実験の被害を受けているカザフスタンやマーシャル諸島に赴きました。実際に現地の様子や人びとの声に触れたことも、自身の見識を深めるいい機会となりました。また、太平洋での核実験により、日本の第五福竜丸だけではなく、たくさんの漁船が被ばくしたことを知り、以降、元船員の方々への聞き取りや資料整理にも携わらせていただくようになりました。このような取り組みを同時進行させながら、第二回、第三回の締約国会議にも参加しました。
議論のプロセスを“証言ありき”の場にしないために
第一回から第三回まで、実際に国際会議の場に赴き感じているのは、被害を受けている人びとの経験・想いを原点として考え続けていくことの重要性です。
核兵器禁止条約の締約国会議は、さまざまな地域の被害を改めて国際社会に提示し、可視化するプロセスともいえます。回を重ねるごとに、そうしたプロセスの意味合いやアプローチも多様化・深化していきているように感じます。第二回ではカザフスタン、第三回は韓国の被ばく者コミュニティーが存在感を示し、現場の声を届けていました。
一方で、私が懸念するのは、このように被害に学ぶ過程において、被ばく者や影響を受けるコミュニティーの体験・想いを語る場が形骸化した機会となり、「証言ありき」になってしまうことです。これまで、被ばく者やコミュニティーの言葉は、核軍縮が人道的視点から考えられるよう促し続けてきました。しかし、その場がさまざまなグループの努力によって増す一方で、機会自体が当たり前であるかのように思えてしまう傾向も出てきているように感じます。被害者が体験した出来事を共有してもらうことは容易なことではなく、その機会に慣れてしまってはいないか、注意を向けていく必要があると私は思います。話を聞いたうえで、私たちはどのように行動していくべきなのかを、与えられた一つひとつの機会に真剣に考えていく。そうした姿勢を保ち、参加するモチベーションを上げてもらえるような場を作るために、私自身も自分の姿勢を常に省みて、試行錯誤していきたいと考えています。
核兵器が人道上及ぼす影響は、自然科学や理論をベースとした議論を中心に語られる傾向があります。これもまた、欠かせない要素である一方で、数値化することの難しい事柄、例えば被ばく者の背負ってきた生活苦や精神的苦痛についてもまた、学ばれなければなりません。そうした可視化の難しく、わかりづらい被害をどのように伝えていくのかも、大きな課題であると感じました。
今回、被害者の援助と環境修復についての議論がなされていた際、ある被害コミュニティーの代表者が「遠い約束ではなく、緊急かつ具体的に、確実に実行するために行動してほしい」と訴える場面がありました。会議では、物事の決定に長い時間を要します。しかし、条項に定められた被害者への援助や環境の修復は、実施が遅くなればなるほど、犠牲を強いられる人びとやコミュニティーへの支援がなおざりになり、実施したとしても場合によっては手遅れになるケースもあり得ます。議論を交わす場としてお膳立てされた会議場で話をしている間にも、健康被害や故郷を失った人びとの苦痛は続いています。その事実にもっと敏感になり、何を優先に考え行動に移さなくてはならないのか、常に問いながら議論していかなくてならないということも、三回の会議参加を通じて実感しました。
ICRCユース代表としてのこれまでを振り返って
今回の第三回締約国会議の参加をもって、私のICRCユース代表としての役目は終わることになります。広島出身であることから普段から身近でお世話になってきた被ばく者の方々の想いや、伺った経験談、調査した資料をもとに、国際人道法の守護者と言われるICRCのユース代表としてどのようなことを伝えるべきか、模索する一回一回でした。駐日代表部をはじめ、ジュネーブ本部や国連代表部のICRCスタッフの方々から多大なるサポートをいただき、貴重な経験をさせていただいたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
核兵器廃絶にむけた議論は、確実に進展していると思います。そのうえで、今回の会議に参加されていた日本の専門家の方との会話が、とても印象に残っています。それは、「人道と各国の安全保障政策の二つが、これまで以上に結びついて議論されている」というものでした。そしてこの議論を深めていくには、「国際人道法をさらに理解していく必要がある」とおっしゃっていました。
なぜ核兵器が使われてはならないのか。「戦時のルール」である国際人道法は、その問いへの回答をきちんと理論立てて、核兵器を禁止に導く重要な要素となっています。私自身は今後、核兵器が引き起こす被害の多面性をより深く調査していくと同時に、人道法をもっと学びたいと思っています。核兵器のない世界を実現するために、そして核被害による苦痛を少しでも減らしていくために、自分ができる貢献を続けていくつもりです。