スーダン:家族を探し求めて、20年

スーダン
2025.10.09
In Search of Kin ICRC Sudan Darfur Kakuma Refugee Camp Kenya Red Cross

©Emmanuel Oduor/ICRC

2004年、アマル・アダムは、弱冠16歳で、母国スーダンのダルフール紛争のため避難民となりました。
家族と離れ離れになった運命の夜、数百の家庭からなる村が襲撃を受けたときのことを覚えています。襲撃者たちは村人を殺害するため、家々を焼き払いました。周囲には銃声と悲鳴が響き渡り、アマル自身はただただ混乱するばかりでした。

家族との連絡が途絶えて20年

家族と離散したときのことを思い出しながら、アマルの頬を涙が伝っていました。あの混沌(こんとん)とした瞬間、母と父、二人の兄弟の姿を最後に目にしました。その後、食料や水を確保することの難しさ、誰を信じ、あと何日生き延びることができるか、絶え間ない恐怖と不確実性の中を生きてきました。ひたすら歩きつづける一方、可能なかぎりヒッチハイクをして、道中の村々で食料と雨風しのぐ場所の見返りに単純労働をして、どうにか生き延びました。

「出会った人びとが私を助けてくれました。何も持たない私に、何着か服と靴を施してくれたのです。」
そう言った瞬間、まるで直面した困難が鮮明によみがえったように、アマルは言葉を詰まらせました。

2007年、紛争難民用の避難キャンプの存在を知り、カクマ・キャンプへの旅が始まりました。2008年、幸運にも目的地に到着し、受け入れ後、正式に難民申請者として登録されました。異国の地に辿り着いた外国人として、見ず知らずの人に囲まれ、現地語も解しませんでしたが、故郷出身の見知った顔と出会えることだけを楽しみにしていました。

愛する人びとを探しながら17年間カクマ・キャンプに住み続け、37歳になりました。これまで直面した困難にも関わらず、赤十字国際委員会(ICRC)やケニア赤十字社に代表される人道団体は、時にアマルの命綱となり、また時に新たな希望をもたらしてきました。
家族の連絡回復・再会支援は、人道危機によって引き離され行方不明になった人びとのニーズに対応し、あらゆる地域社会に拠点をもつ、国際的な独自のイニシアチブです。本ネットワークを通じて、アマルは行方不明の家族を探すため、追跡要請を提出することができました。

家族の安否が分からず、ストレスに苛まれることがあります。それでも、アマルは家族の生死が不確かな状況下で、いつか捜索が実を結び、全員でなくとも家族のうち誰かと再会する希望を持ち続けています。

In Search of Kin ICRC Sudan Darfur Kakuma Refugee Camp Kenya Red Cross

©Emmanuel Oduor/ICRC

家族と連絡が途絶えて20年になりますが、私は、たとえ全員でないとしても、少なくとも家族のうちの1人と再会できるという希望を持ち続けています。

アマル・アダム

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