ペリリュー原作者・武田一義氏と語る「戦時でも守られるべき人間性」

原作者武田さんと東京・豊洲でのプレミア上映会前に対談(2025年11月19日)
ペリリュー制作の背景や、マンガに込めた想いを伺う中で、子ども兵士が主人公のICRC制作のマンガにもちょっとだけ話が及びました©ICRC
12月5日に公開される『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』。原作者の武田一義さんと、紛争下で一世紀半以上人道支援をおこなう赤十字国際委員会(ICRC)の榛澤祥子駐日代表が対談しました。
戦時に人間の尊厳を守ること。これが、ICRCの究極の使命です。戦時のルールと言われる国際人道法は、戦時下でも人間性を失わないよう、人を人として扱うよう謳っていて、ICRCはその国際人道法の「守護者」と呼ばれています。
紛争当事者と対話し、人の道に外れないよう、「戦争とはいえ、やりたい放題は許されない」というメッセージを送り続けるICRC。第二次世界大戦末期のペリリュー島で実際に起きた出来事を取材し、マンガという媒体を用いて戦時の人間性を描いた武田さんとの対談が、東京・豊洲でのプレミア上映会直前に実現しました。
戦争がもたらす狂気と、守られるべき尊厳、そして、ガザやウクライナなど今ますます混迷を深める世界について、それぞれの想いを語っています。
ペリリュー島の戦いとは
太平洋戦争末期の昭和19年9月15日から約2か月半繰り広げられたパラオ・ペリリュー島での戦い。日本軍にとって玉砕を禁じられ持久戦で時間稼ぎをする方針転換がなされた最初の戦いとなり、その方針は硫黄島へも引き継がれた。日本軍1万人中最後まで生き残った兵士はわずか34人。米軍も1600人以上が死亡したとされる。守備の中核を担った水戸第二連隊はその9割がペリリュー島で亡くなっている。その犠牲の多さと過酷さに対してほとんど語られることのない「忘れられた戦い」となり、2025年現在でも千を超える日本兵の遺骨が収容されず島に眠っている。
映画公式サイトより

©武田一義・白泉社/2025「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」製作委員会
榛澤:今日はありがとうございます。私は映画化される前にマンガを読んでいました。私たちICRCは紛争下で人道支援をおこなっていて、戦時において人間性を守ることを大事にしている組織です。武装集団とも対話をしながら人間の尊厳の尊重を徹底するよう取り組んでいます。
この「ペリリュー」は、まさに人間性に焦点を当てていて、とても感銘を受けました。原作者である武田さんがそこに着目されたきっかけは何だったのでしょうか?
武田さん:自分にとって戦争とか兵士というのは、どこか「記号」的なものだったんです。報道や映像で「何人が亡くなった」と聞いたときに、その人数というのは数字でしかなくて、そこにいる一人ひとりを自分が想像しているか?っていうと、初めのうちは全くそうではなかった。
原作の原案協力者として名前を連ねてくれている戦史研究家の平塚柾緒(ひらつかまさお)さんが、ペリリュー島で生還した方々を数十年かけて取材してきたことを知ったのが、今回ペリリューを書こうと思ったきっかけです。戦争中に起こったことをまとめたり、その後の遺骨収集にも自らが出向いたりしていたんですね。そのことを本人からうかがえる機会があり、実際に戦争をしていた人が自分と変わらない普通の人だったんだ、ということに気づけたんです。
そういう風に思ったときに、「普通の人たちが戦争をしていること」を描きたいと思ったんですね。軍事作戦の成功とか失敗とか、戦いの中の細かい部分を物語にするのではなく、この島に来た兵隊さんたちがどのように生きて、死んでいったのか。そのことを描く物語にしたかった。普通の戦争マンガや戦史マンガとは違った形で、そこにいた人間に注目したんです。
榛澤:まさに、兵士を一人の人間として描いているところに、私たちの活動との共通点を感じました。「傷ついた兵士は敵味方の区別なく助ける」というところから始まった組織が赤十字です。武田さん自身、実際にペリリューに行かれたり、生還した方に寄り添いながら関係を構築して原案を描かれたと聞きましたが。
武田さん:ペリリュー島は昔戦場だったけれど、終戦後はずっと平和が続いています。ただ戦争の痕跡は残っていて、例えば、当時の戦車や戦闘機といった残骸があったりします。それらは撤去しようと思えばできたもの。それを観光資源化しているという側面もあるけれども、僕が取材している当時は、不発弾や機雷がまだ残っていて、処理しなければならないという話を現地のガイドさんから聞いたんですね。島の中を歩いていても、不発弾処理が済んだところと、済んでいないところの目印がありました。いったん戦地になったところは、長い間、こうした「名残り」がずっとあるんだということを、現地に行って初めて知りました。
榛澤:日本各地でも不発弾が見つかったという話が時々出てきますよね。戦争の影響が長期間続くというのは、おっしゃる通りです。
武田さんに是非お聞きしたいと思っていたんですが、今現在日本は平和で、戦争の現実や私たちICRCの活動を知ってもらうのに、常に伝え方を模索しています。マンガを通して戦争を描く武田さんの想いをお聞かせください。
武田さん:マンガの一番良いところであり、伝える力を一番発揮できるところというのは、読む人が「勉強をしよう」という意識でマンガを読むのではない、ということです。「これを読めば楽しい」というのがマンガの入り口で、読み進めていく中で、意識せずに自然と学んでいるんですね。いろんなマンガがあるけれども、ペリリューの読者さんたちからは、「知らなかったことをこのマンガが教えてくれた」、「マンガという形でなければ知る機会はなかった」という感想が届くんです。思いもしない学びを得たという経験が、マンガを通してできるんだと思います。
自分自身は、この作品を通して戦争に興味を持って、いろいろな調べ物をしました。そこには「調べる」という意識がある。でも、読む側は、無意識の中で学びと出会えるのが、マンガの強みだと思っています。
- 対談ショート動画 第1弾
\🏝️ #ペリリュー × ICRC の対談企画 ❶/
🗓️ 12/5 の劇場公開を前に原作者の
武田一義さんと榛澤駐日代表が対談しました!1️⃣問目「本作において 人間性に着目された理由は?」
武田さんが漫画を通して伝えたい想い、
人道支援を行うICRCの視点からみた
「ペリリュー」の語り合いは必見です! pic.twitter.com/Cf6lE0FLqk— 赤十字国際委員会 (@ICRC_jp) November 28, 2025
榛澤:ICRCも、子ども兵士や紛争下で性暴力を受けた人が登場するマンガを制作したことがあります。実際に日本人のマンガ脚本家にコンゴ民主共和国に行ってもらい、取材をしてもらいました。武田さんがマンガで戦争を伝える際に、気を使われる点は何かありますか?
武田さん:難しいのは、戦争というのが今現在身近ではない読者の方々に、どのように興味を持ってもらえるか、ということです。マンガだったらとりあえず読んでもらえる、という前提で僕は描いています。戦争の時代に生きている主人公であっても、戦争に熱中しているわけではなく、自分はマンガ家になりたいというふわっとした夢がある。実際に兵士となって戦地に送られた後も、帰国したらこんなマンガを描きたい、と思っている。戦争という過酷な状況に巻き込まれて、いろんな経験をする主人公がいることによって、現代の戦争を身近にとらえていない読者さんも同じように体験することができる。そういったところを意識しました。同じ日本人に起きたことでも、昔のことなのですぐに感情移入するのはとても難しいと思います。そこをどうやってつなげるのかということを、自分では考えました。
榛澤:その、マンガ家になりたいという夢を持っている主人公の田丸ですが、武田さんはご自身を田丸に重ねていたりしますか?
武田さん:あると思いますね。自分は作者なので、どの作品のどの主人公も、自分の一部なんです。田丸の「絵を描くのが好き」というのは、確実に自分の中の一番濃いところですね。
榛澤:主人公の田丸が「功績係」だったのは大変興味深いです。ICRCも、捕虜や負傷兵の家族にメッセージを伝えたり、紛争下で行方不明になった人たちを追跡調査してその消息を家族に伝えたりする役割を担っています。亡くなった兵士の家族にその事実を伝え、遺体を家族のもとへ返す活動もおこなっています。マンガの中で「功績係」に光を当てたのはなぜですか?
武田さん:物語の中で、功績係は、亡くなった仲間の死を家族に伝える、という役割を負っています。その「伝え方」というのは、必ずしも現実に即したものではないんですよね。ご家族にとってより受け入れやすい、いわゆる「名誉の戦死」として脚色して伝えるんです。
当時を知らない世代の僕が戦争を描くうえで、いろいろな資料を見ながら描くわけですけれども、その資料の見方がとても大事だと思うんです。功績係が書いた手紙だけを見たら、そこにあるのは名誉の戦死なんですね。それまでの背景と功績係という仕事の内容を知っていれば、これは家族に伝えるために脚色された死なんだという風に、資料の見方が変わってくる。
実際に戦争を体験していない自分が、これから戦争の物語を紡いでいくというスタンスを読者さんに知らせる必要があると思ったんです。自分の作品は、資料や証言を基にしたフィクションなので、功績係の手紙のように脚色というのはあるんだ、というのを初めに知らせておくというのが、自分なりの誠実さだと思ったんですね。
榛澤:資料に関して言うと、ICRCのジュネーブ本部のアーカイブスには、戦争にまつわる資料がたくさんあるんです。世界で最も古い国際人道支援組織でもあるので、一世紀半以上にわたる戦争の歴史を見ることができます。さらに、そうした昔の資料や記録を、今の現場活動の指針にも反映させるといった、過去と現在をつなげる役割も担っています。ぜひジュネーブに行く機会があれば武田さんにアーカイブスの資料を見てもらいたいです。
武田さん:それはすごいですね。行ってみたい。資料が残っていること自体がすごいですよ。多分、一生いられますね(笑)
敗戦によって大量の資料が処分されてしまったので、それによって実情がわからないということがたくさんある。未来のためにも資料を残すという、過去の人たちのその意思が素晴らしいですね。
- ICRCって何をしているの?
榛澤:ところで、ガザに派遣された日本人医師がペリリューの愛読者で、武田さんへの質問を今回託されました。
武田さん:本当ですか?光栄すぎます。ちょっと泣きそうです。
榛澤:その質問とは、「世の中の流れが変わっても、人の本質は変わっていないと思っているが、今の日本に生きている武田さんは、かつてペリリュー島で起きたことがまた繰り返されると思いますか?」というものです。日本が何らかの形でかかわることも含めて、あり得ると思いますか?
武田さん:ないとはいえない、という世の中に徐々になってきているのかな、という風に感じています。自分が子どもの頃は、日本が戦争をすることなんてないよね、と単純に疑いなく思えていたのが、正直に言うと今は「もしかしたらあるのかもしれない」くらいの形になっていて、そういう風に感じてしまう人は多いんじゃないかな、と思っています。根拠は何?って言われると具体的に何とは言えないんですけれども、うっすらとした雰囲気ではそのように感じてしまう部分はありますね。
自分が子どもの頃より、日本が国として若干貧しくなってしまっているのかな、とも思うし、ガザやウクライナなど外国の話を聞くと、大国があそこまで露骨に武力行使ができてしまうという現実を見るにつれ、子どもの時に思っていた世界と徐々に変わってきているな、と思います。
その中で日本も無関係ではいられなくなるということは、やっぱり思っていますね。無関係であってほしいとは強く思いますが。
榛澤:そうした意味でも、ペリリューが平和について真剣に考えるきっかけになるといいなと思っています。戦争の残酷さや平和の尊さに多くの人に気づいてほしいです。
武田さん:はい。考えるきっかけになってくれればいい、というのは自分も常に思っています。ペリリューの作品の中で、「戦争はいけないね」というセリフは一切ないんですね。それを言わないのは、考えてほしいからなんです。みんなが戦争を知っていた時代というのは、その言葉をみんなが共有することに意味があったと思う。でも、戦争をみんなが知らない今は、言葉ではなくて「知ること」と「考えること」に意味がある、という風に自分は考えています。
武田さんのペリリューには、ICRCが紛争当事者や実際に武器を持って戦っている人たちに訴えている要素があちこちに見られます。
約20分の対談が終わり、雑談の中で武田さんからこんなコメントをいただきました。
“そもそも、今回の対談企画を持ち込んでいただいていると知った時に、「あ、これはいつもの取材と違うぞ」と自分の中で思って。実際の戦争の現場に行かれる方々に、自分が取材をしてもらえるというのも本当に光栄です”
戦地の現状や、その中で“終戦”や“平和”を渇望する人びとに寄り添う組織として、戦後80年を迎えた日本でどうやったら現場の人びとの声が届くのか、どう伝えれば「ひとゴト」ではなく「自分ゴト」として捉えてもらえるのか、ICRCは日々試行錯誤しています。そうした意味でも、今回の対談は、大変得るものが多い貴重な機会となりました。武田さん、ありがとうございました!
上映情報はこちらの映画公式サイトから
赤十字国際委員会(ICRC)とは
「敵味方の区別なく、傷ついた人はすべて救う」という理念のもと、1863 年に永世中立国のスイス・ジュネーブで発足。 政府、反政府勢力、ゲリラ勢力など、すべての紛争当事者と対話し、戦時の決まりごとである「国際人道法」の守護者として、戦禍の人びとに寄り添い、命と尊厳を守る役割を与えられている。その活動は多岐にわたり、生活の自立支援や食 料・水・避難所の提供、離散家族の連絡回復・再会支援事業、インフラの修繕・復旧支援、戦争捕虜や被拘束者の訪問、戦傷外科やトラウマケアなど。現在、約1万8千人の職員が約90 カ国で、「公平・中立・独立」を掲げて活動する。