【インタビュー】保田文子 ICRCデレゲート(国際職員)
ICRC職員としてヨルダン川西岸地区のナブルスと北ダルフールでの任務を経験。「我々は、武器なき戦士(warriors without weapons)だ。赤十字標章だけを胸に、紛争地の中へ人道支援のために入る」というICRC職員の言葉に感銘を受け、ICRCに入る。最前線の現場で活動している日本人職員に、話を聞いた。
ICRCでの二カ所の勤務地について、そしてそこでの仕事について教えてください。
二カ所ともICRCのトップ10に入る活動規模で、大きな代表部でした。イスラエルとパレスチナ自治区は約70人の国際職員と300人以上の現地職員で、私はナブルスで保護要員として被拘束者の処遇、文民への攻撃などを人道法に照らし合わせて関係当局に非公開で勧告し、改善を促すことを主な仕事としていました。スーダンは約60人の国際職員と760人以上の現地職員で構成されていて、私は北ダルフールで、現地デレゲートとして保護活動だけでなく、ICRCの現場での活動できる安全を確保するため、政府当局や武装グループと交渉するなど地域に密着した人道支援活動を遂行していました。
現場で直面した課題、またそれをどう乗り越えてきたか教えてください。
北ダルフールに赴任した後のことです。反政府武装勢力の実効支配地域で、私たちは支援活動を実施するための許可が政府当局から下りない時期が数カ月続きました。同僚とともにに交渉を重ねるものの、当局からすると「敵」側の地域で人道支援活動をしようとする私たちに同意してくれないのは当然かもしれません。交渉は難航し、戦闘に参加していない市民に対する支援だということを具体的に説明し話し合いを進めました。するとある日突然、当局一行が事務所を訪れ、ICRCの支援物資保管倉庫の点検を要請してきました。あまりにも急なことでしたが、私たちには何も隠すことはないという態度を明示するため、即座にこの抜き打ち検査を受ける決断をし、倉庫を案内しました。
数日後、当局から活動の許可が下りました。当局は、敵に支援物資を届けたくないという理由だけではなく、新しく赴任してきたICRC職員との信頼関係の構築や活動に対するより高い透明性を求めていたことに気付かされました。
もっとも印象に残る出来事はありますか?
北ダルフールで、反政府武装勢力が捕えた政府軍兵士の引き渡しの仲介と釈放を支援したことは印象に残る経験でした。政府、反政府勢力の双方から受け入れられているICRCは、被拘束者の釈放の仲介者の役割を担います。それは私が二人の政府軍兵士の釈放に立ち会ったときにことでした。私と通訳者は小さなヘリコプターに乗って、身柄の引き渡し場所として指定されたチャド国境付近の砂漠へと向かいました。ヘリコプターを降りて、蜃気楼が立ち上る砂漠の中を武装グループに向かって歩いたときの胸の高鳴り、そして帰りのヘリコプターで釈放された政府軍兵士が見せた安堵の表情は、今でも忘れることができません。ICRCならではの活動、紛争地で「中立」を貫くからこそできる活動に、私は誇りを感じています。
ICRCの職員として大切なことは何ですか?
第一に、紛争の犠牲となっている人々に寄り添っていくという固い「信念」です。極限状態に身を投じた時、またはあまりの惨劇を目の前に無力感に苛まされた時、なぜICRC職員としてこの時この場所にいるのか、自分自身の中に明確な答えを持つことが必要です。第二に、すべての紛争当事者との粘り強い「交渉力」。争いに習熟している彼らに人道法を盾に正論を振りかざすことは通用しません。対話の中で相手の心を感じ取り、何を考え、行いたいのかを態度で証明しながら関係を構築する必要があります。第三に、迅速な「行動力」です。一瞬の人道スペースを見極め、中立の立場で敵味方関係なく速やかに行動することが、被害を受けた人々の保護と支援だけでなく、ICRCの職員の安全をも守ることにつながるのです。