パキスタン:息子の声を聞き歓喜する父親
離ればなれになって8か月。息子の声をやっと電話で聞いたとき、ジャラール(仮名)は泣き崩れました。
「家族にはより良い、安全な暮らしをさせたいとずっと思っていました。しかしヨーロッパへ避難する途中、息子のアーメッドとはぐれてしまいました」とジャラールは語ります。「2014年6月にトルコに到着した後、息子はブルガリアを経由しドイツに向かう移民グループの第一陣に加わり、出発しました。私は遅れて彼らを追うはずだったのですが、諸事情により私のグループは渡航できなくなり、トルコで立ち往生してしまいました」。
ジャラールはアーメッドに関する知らせを何週間も待ちました。しかし残念ながら何の知らせもなく、ジャラールは悲しくもトルコを離れパキスタンに戻りました。
「息子の消息が全く分からず、耐えられないほど辛い日々でした」
悲しみに打ちひしがれていた最中、ジャラールは友人から、行方不明の家族を探し出す支援をしている赤十字の事務所を尋ねてみるよう言われました。2015年2月、ジャラールは赤十字国際委員会(ICRC)ペシャワル事務所を訪れ、息子の居場所を探すよう依頼しました。事務所の職員はこの要請をトルコやブルガリア、ドイツの赤十字社・赤新月社へと送り、各国でアーメッドの追跡調査が始まりました。
その日の午後ドイツ赤十字社から、あるアフガン難民が少し前に事務所を訪れ、ドイツに向かう途中で家族と離れてしまったというジャラールと似たような境遇の話をしていたと連絡が入りました。この人物の写真はすでに、離散家族の連絡回復・再会支援に必要な情報を共有するウェブサイト「ファミリー・リンク」に載っていたため、息子かどうかを確認するためにジャラールはすぐに事務所に呼び戻されました。その写真を見た瞬間、ジャラールは歓喜に震えました。「これはアーメッドです!私の息子です!」彼の目には涙があふれていました。
毎年、ICRCと各国赤十字社・赤新月社のグローバルなネットワークを通して、数千もの離散家族が、行方が分からなくなっていた家族と連絡の回復、再会を果しています。詳しくはこちらのサイト→www.familylinks.icrc.orgをご覧ください。
原文は、本部サイト(英語)をご覧ください。