文化財、文化遺産に対する攻撃
最新の人道問題を法と政策の観点から紐解き、斬り込むICRCブログ「Humanitarian Law & Policy」から、今最もホットなトピックをピックアップ。
アフガニスタンにあるバーミヤンの大仏、クロアチアの世界遺産都市ドゥブロブニク、シリアのウマイヤド・モスクのミナレット。これらにはある共通点があります。それは、紛争によって破壊された文化財だということです。近年の文化遺産の破壊は、第二次世界大戦以来最もひどく、無形文化遺産や世界記憶遺産などの文化財に影響を与えています。数ある武力紛争の中で、その損害はもはや「巻き添え」のような位置づけではなく、「故意にターゲットにされている」という事実は見逃せません。武力紛争の状況下で、文化財を保護するために日本をはじめ国際社会ができることとはどういったものがあるでしょうか。
今回は、文化財保護に関する以下の二点の国際的な条約に触れつつ、法が改正された後も私たちが直面している課題を取り上げていきます。
(1)1954年にハーグで採択『武力紛争の際の文化財の保護に関する条約』(以下『ハーグ条約』)
(2)1999年に(1)のハーグ条約を補足するものとして制定された、『武力紛争の際の文化財保護第二議定書』(以下『第二議定書』)
歴史的経緯:
第二次世界大戦において、たくさんの文化財が破壊される等の被害にあったことを受け、武力紛争の際の文化財保護に向けた包括的かつ国際的な約束として、1954年、(1)のハーグ条約が採択されました。しかし、旧ユーゴで世界遺産の暫定リストに載っていたクロアチアのドゥブロヴニク旧市街、ボスニアヘルツェゴビナのバンジャルカのイスラム教寺院などの文化財の破壊行為が1990年代初頭に起きました。そうしたことから、ハーグ条約の有効性が問題視されるようになり(※1)、オランダ政府は条約を見直す検討を行いました。最終的に、ハーグ条約の規定を維持しつつ、すでに締約国となっている国へのさらなる保護の提供を理由として、ハーグ条約の新たな追加議定書(=第二議定書)の制定が決まりました。そして、1999年にUNESCO(以下『ユネスコ』)の主催で、国際社会は第二議定書を採択し、最も波乱に満ちた時でさえも文化財を保護することを改めて表明しました。ハーグ条約を批准した国のみが、第二議定書の締約国となることができます。日本は、ハーグ条約には批准しています(※2)が、第二議定書には批准していません。(2007年時点)
第二議定書で変わったこととは?:
第二議定書で大きく変わったことの1つとして、ハーグ条約での「特別保護」を改善した「強化保護」という制度が挙げられます。
特別保護や強化保護に認められた文化財には、いかなる敵対行為をも行わないようにすることにより、締結国による不可侵の確保が約束されています。しかし、ハーグ条約において、文化財が特別保護として認められるための必須条件の一つが、「重要な軍事目標」から「妥当な距離」に位置すること、であり、具体的基準が明確ではありませんでした。
日本が1956年にこの点を検討したところ、京都及び奈良などの日本の重要文化財の集中する地区について、「妥当な距離」の要件を満たすことは難しいと判断され、「重要な軍事目標」が明確ではないことも問題とされました(※3)。
しかし、第二議定書の「強化保護」では、第一の要件が「文化財が人類にとって非常に重要な文化財であること」であり、他2つの要件にも「重要な軍事目標」と「妥当な距離」の記載がなくなりました。強化保護の対象となる文化財は、「武力紛争の際の文化財の保護のための委員会」のメンバー国の5分の4の賛成で決定されるという、簡略化された手続きにより実効性が高められました。「特別保護」から「強化保護」への改定で、武力紛争の際の文化財保護の分野における国際協力が以前にも増して推進された、と考えられます。
それでも残る課題:
第二議定書の基礎となる文化財の保護目標は、22年前に採択されて以来、大幅に進歩しましたが、武力紛争の状況下にある文化財への適切な保護を確保するためには、いまだに多くの課題が残されています。
例えば、第二議定書を中心とした既存の国際的な法的枠組みは、武力紛争中に文化遺産を保護するために必要な全ての手段を各国に提供しています。例えば、文化財を保有する側は、火災や倒壊からの保護などの緊急措置の計画を立てたり、動かすことのできる文化財の場合は移動の準備をしたり、文化財の付近に軍事目標を設けないこと等があります。攻撃する側は、攻撃の目標が保護される文化財でないことを事前に確認すること、攻撃の目標が保護される文化財であることが明白になった場合は、攻撃を中止、又は停止すること等があります(※4)。そして、その枠組みの実践的な活用、意識の向上、そして最終的には紛争当事者の行動の変容が欠かせません。それには、以下の3つの点において、より一層の努力が必要とされます。
(1)ハーグ条約と第二議定書の批准国数を増やし、この法的枠組みをさらに周知する
(2)文化遺産保護の精神を軍事の基本原則に反映させることができるよう、クリエイティブで妥当性の高い能力開発ツールと、研修の機会を国家や他の利害関係者へ継続的に提供する
(3)文化財の保護は、紛争激化に伴う単なる不幸な副産物ではなく、紛争の状況下における人道的配慮として不可欠な要素であるという認識を、全ての当事者がもつ
人道支援組織の役割:
文化財の保護に真摯に取り組むためには、紛争や占領の状況下で、文化財がさらされるリスクを、国家間、非国家武装集団との間で議論しなければなりません。
この点において、ICRCをはじめ、ユネスコ、Blue Shield International、ALIPH Foundationなどこの分野に力を入れている組織や機関は、それぞれの使命、特定の専門分野、活動の範囲内で、果たすべき役割が2つあります。
(1)自らの行動の影響力を最大限に高める方法を見つける
(2)どの国でも、文化財を保護する活動を行えるように、一部の国が実施している有効な政策や枠組みを最大限に活用できるようにする
スイス政府とICRCは、ハーグ条約と第二議定書を批准していない国に対し、批准を検討するよう呼びかけています。批准する国の数が増えるたびに、文化財保護のための重要かつ必要なシグナルが送られることになるからです。
(1)ハーグ条約:116か国が締結(2007年2月1日時点)。G8のうち、フランス、イタリア、ドイツ、カナダ及びロシアが締結済み。近隣国では、中国が締結済み(※5)。
(1)第二議定書:44か国が締結(2007年2月1日時点)。G8のうち、カナダが締結済み(※6)。
紛争下でなくとも、沖縄の首里城が火災にあった際に多くの人が心を痛めたように、文化財や文化遺産は地元や地域、国、また個人にとって大切な心の拠り所であったり、アイデンティティの一部を成している場合が多くあります。物質的な消失、破壊だけでなく、人々の心にも傷や喪失感として残ります。そうした事態は、何としても避けなければなりません。
※上記記事は、スイス連邦外務省法律顧問ジョナサン・キュエヌード氏およびICRC法律顧問ベンジャミン・シャルリエによる寄稿(https://blogs.icrc.org/law-and-policy/2021/02/18/cultural-heritage-under-attack/)を基に、背景や議論のポイントなど付け加えて駐日代表部がまとめたものです。
※1 https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/02_3_1.pdf 4.1990 年代の条約見直し議論 (1)第二議定書作成までの動き
※2 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty166_2_gai.html
※3 https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/02_3_1.pdf 3、我が国の対応 (2) 「特別保護」付与の要件たる「妥当な距離」について
※4 https://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/cpcp2.htm
※5 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty166_2_gai.html 1、背景
※6 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty166_4_gai.html 1、背景