国際女性デー企画:ICRCが出会った女性たち(日本赤十字社・津田香都さん)

お知らせ
2022.03.08

津田香都(つだこうづ)さんは、西日本を拠点に活動する救急看護師です。物腰が柔らかく、笑顔を絶やさず、共感力があり、困難な状況下に置かれてもポジティブなパワーで乗り切ります。英語はあまり得意ではないと謙そんしますが、人道の現場で医療に携わる津田さんにとっては、看護の仕事そのものが、言葉や地域の壁を越えて人との絆を深めてくれる、と語ります。

これまでの現場経験は?

日本赤十字社に所属する津田さんはこれまで、主に紛争地で活動をする赤十字国際委員会(ICRC)や、世界に192の赤十字社、赤新月社を抱える国際赤十字・赤新月社連盟の海外事業にも派遣されました。イラクやハイチ、バングラデシュ、フィリピン、南スーダンなどの医療現場や地域の保健活動に従事した経歴の持ち主です。津田さんは、そうした現場での過酷な体験を語るときも、「私はどんな状況でもベストを尽くし、適応する努力をします」と前向きな姿勢を崩しません。

これまでに困難に直面したことは?

穏やかな性格で、楽観的なものの見方ができる津田さんですが、2度目の赴任でバングラデシュ南東部のコックスバザールに戻ったときには、激しい動揺を禁じえなかったと回想します。「状況が思っていたよりも改善されていなかったのです。しかも、悲しいことに、人々は自分たちの状況を受け入れてしまっていたのです」。もう一つ、津田さんが大きな衝撃を受けたのは南スーダンでの出来事で、この経験を通して、現地の医療従事者の訓練や育成に取り組まなければならないという決意が強まりました。

「マラリアにかかっている赤ちゃんが、母親に抱っこされてやってきました。赤ちゃんは弱々しく、慌ててバイタルサインを測ると脈拍は1分間に40台にまでさがっていました。命の危険が迫った状態でした。小児科医師と私は何としてもその子を救おうと、すぐに心肺蘇生を開始しました。すると、赤ちゃんの母親は私たちに『やめて!』と叫んだのです。彼女は蘇生法のことを知らなかったので、心肺蘇生を見て、赤ちゃんが危険にさらされていると思ったのです。しかし、問題はそれだけではありませんでした。その時の小児科病棟には小児科医師と私以外、適切な心肺蘇生を行える現地スタッフがいなかったのです」。この出来事をきっかけに津田さんは、現地の看護師たちに心肺蘇生の訓練を実施。次に小児科病棟に子どもが運ばれてきて蘇生が必要になったときには、現地の看護師たち自身で無事に心肺蘇生をすることができたと言います。

周りにサポートしてくれる人はいますか?

「私たちのような人道支援従事者は、厳しい状況下で活動することもあるため、周囲のサポートを受けることができて、聞き役となる人がいることが重要です。現在の上司からは、まさにそうしたサポートを得ています」と語る津田さん。さらに、「南スーダンでの元上司も素晴らしい聞き役で、家族のように見守ってくれていました」と振り返ります。

日本でのこころのケアにまつわる活動についてお聞かせください

津田さんは、コロナ禍でもこころのケアに従事しています。「南スーダンから帰って間もないころ、日本では横浜に停泊したダイヤモンド・プリンセス号での新型コロナウイルス感染が話題になっていました。私は日赤から最終班の一員としてダイアモンドプリンセス号に派遣されました。その後は自院のコロナ病棟での勤務になり、また、他院のコロナ病棟に応援要員として派遣されたこともありました。どこにいても私は、看護師として、さらにこころのケアの一環として、大切にしていることがあります。それは人をよく見ること、そしてよく聴くことです」。

「コロナ感染が始まった当初は今よりも偏見がとても強かった」と当時を振り返る津田さん。「ダイヤモンド・プリンセス号では『帰りたい。いつ帰れるんだろう。でも、私が今、ここにいることを家族に言えない。言ったら家族に迷惑がかかる」と、とても悲しそうに話してくれる外国人クルーがいました。ある入院患者さんは『もう、ひっそりと暮らしたい』と話していました。検査の結果、コロナ陽性であることがわかり、激しく動揺するクルー、コロナ病棟の閉ざされた空間で不安になる人、泣く人、怒る人、さまざまな人がいました。私はいろんな人達と関わりながら、一緒に泣いたり、怒ったり、笑ったりしました。それから、今の状況が怖いと思うことや辛いと思うこと、理不尽だと怒ったりするのは『異常な事態における正常な反応である』ことを伝えていました。すると少しほっとしたような、また知らなかったという顔をする人が多かったように思います」。

活動の原動力は?

「私の原動力となっているのは、マザー・テレサとその奉仕の精神です」と語る津田さん。多くの人が座右の銘とするマザー・テレサの「ありのままの自分を受け入れなさい」という言葉を胸に、経験豊かな日本人看護師として活動を続ける津田さんもまた、たくさんの人にインスピレーションを与える存在です。