ミャンマー・ラカイン州:暮らしを再建する人々
武力衝突や、地雷の爆発で、家が破壊される――。
これは、ミャンマーでは、ごくありふれた話です。武力衝突で家を失う人は数多くいます。数年間、故郷の村に戻れない人もいます。
伝統的な帽子を作るアウン・ソー・トゥンさん
ミャンマーのラカイン州で暮らすアウン・ソー・トゥンは、「多くの困難に直面し、ようやく村に戻りました」と語ります。「避難暮らしのため、いざという時に、どこに逃げれば安全を確保できるか心配です。戦闘が行われる危険は残っていますから」。
アウン・ソー・トゥンは、2020年にミャンマー中部で起こった武力衝突下で、弾圧や民家の破壊が行われる中、自宅から避難することを余儀なくされた数百人のうちの1人です。家族とともに故郷の村に帰ってきたものの、一からの再出発には新たな問題が伴います。例えば、生計をどう立てるかという問題です。
避難を余儀なくされた人は、親族や他の家族の好意、あるいは人道支援に頼ることになります。しかし、そうした援助が長期的な解決策になることはまれです。故郷に戻り、暮らしを再建したいと願う人の決定を左右するのは、多くの場合、経済的に自立できるかどうかです。
「今は助成金をもらって商売をしています」と語るアウン・ソー・トゥン。「できれば、鶏を飼いながら自宅で小さな店を開きたいと考えています」。
アウン・ソー・トゥンの一家は、赤十字国際委員会(ICRC)が行っている、故郷に戻った避難民のコミュニティーのための経済自立支援事業の対象者です。この事業は、コミュニティーの人々が生計手段を得る方法を見極めた上で、実際に着手できるよう、現金給付による資金援助を行うものです。
この事業を通して受け取ったお金で、アウン・ソー・トゥンは、伝統的な竹製の帽子を作って販売する商売を始めました。今は、商売を拡大し、鶏の販売もしようとしています。
2021年末から2022年初めにかけて、ラカイン州北部キャウクトウにある2つの村全体で、この事業を通じて支援を受けた人の数は、約90世帯、400人を超えます。
養豚業を営むフラ・ソウ・カインさん
同じく現金給付事業の対象者であるフラ・ソウ・カインは、「以前は養豚業を営んでいました」と語ります。「紛争下では、自分の手で豚を飼育することはできませんでしたが、今はできるようになりました」。
母親の介護をしていて、自宅で仕事をする必要があったため、自宅の庭で再び豚を飼い始めたのです。
フラ・ソウ・カインは、武力衝突下で家を焼かれ、母親と避難民キャンプで暮らすことを余儀なくされました。「キャンプから故郷に戻ると、家には何も残っていなくて、ただ悲しかったです。食べるものもありませんし、それでは健康でいられません。ここは、もはや住むところではありませんでした。お金も50チャット(約3.7円)も残っていませんでした。本当に悲しいことに、すべてを失ったのです」。
食料品店を開いたアイ・ヨイン・ターさん
避難を余儀なくされた人たち全員が、仮設キャンプに身を寄せるわけではありません。友人宅や修道院、教会のお世話になる人もいます。また、アイ・ヨイン・ターのように、親戚の家で暮らす人もいます。
1年前、アイ・ヨイン・ターは、初めて村に戻りました。援助団体からの緊急支援を受けることができ、多少は助けになりましたが、安全で持続可能な収入源に代わるものではありませんでした。「生計を立てることができませんでした。4、5カ月の間は、庭で採れた野菜を売っていましたが、病気になってからはそれもできなくなりました」。
ICRCの支援により、アイ・ヨイン・ターは小さな食料品店を開くことができ、その上に、すでに家業の拡大も計画しています。「火事になる前は、私たち家族は生地をこね、喫茶店を営んでいました。また同じ商売をしたいと考えています」。
避難者が故郷に戻る上で何が重要か
ラカインでは、2012年、2017年、2019年の武力衝突により、人々が相次ぎ避難しましたが、そうした人々の一部は徐々に故郷に戻り始めています。多くの場合、安全面の懸念が残ることに加え、暮らしの再建や将来設計が求められるなど、さまざまな課題に直面し、難しい決断となります。だからこそ、何をおいても、故郷に戻るかどうかは、避難者自身で決めることができなければなりません。健康で尊厳のある暮らしを送り、安全で持続可能な未来が描けることは、最低条件です。
紛争後、その場に留まるにせよ、故郷に戻るにせよ、人々が将来の計画を立てることは非常に重要です。