ミャンマー:巡回サービスにより遠く離れたコミュニティでも義手・義足の修理が可能に

2015.04.01

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ウ・マウン・ハウが義足を失ってから数カ月が過ぎようとしていました。人里離れたゴム農園で警備員を務める彼は、ミャンマー赤十字社が運営するパアン義手・義足センター(HORC)に行く許可をもらえなかったからです。しかし、同センターの巡回チームが彼の居住地に近いチャイトーまでやって来ると知り、バイクで4時間かけて巡回チームに会いに行きました。

 

早朝HORCのチームがチャイトーに到着し、巡回施設の設営を行う頃には、ウ・マウン・ハウは近くの病院のベランダで他の40名ほどの義足をつけた人とともに診察の開始を待っていました。チームは乗ってきた車輌の横に素早く巡回施設を設営します。長椅子や発電機、機材、物資や日陰を確保するための持ち運び用のシェルターを入れたバッグなども持って来ていました。理学療法士、義手・義足専門技師、フィールド・オフィサーの3名で構成されるHORCのチームは、訪れた患者一人ひとりと向き合い、彼らのニーズを聞いて必要な修理について指示を出しました。ウ・マウン・ハウにとっては、ここでの診察は自分の身体にぴったりと合った新たな足を手にいれること、すなわち生きる力を取り戻すことでした。

 

ウ・マウン・ハウだけが特別な扱いを受けているわけではありません。2002年にHORCが開設してから、このセンターでは、6000人以上に義手・義足を提供していますが、そのほとんどがセンターがあるパアンまで来る時間がない人々です。このセンターは、ミャンマー南東部一帯を受け持っており、その距離は長さにして1300km。義手・義足を手に入れても、その後の診察に来れない人が多いのは当然かもしれません。そのため、義手や義足が損傷してしまうと、人々はたとえ活動範囲が狭くなってもなんとか自分のやり方でやり過ごすしかありませんでした。このような状況に対応するため、2014年に赤十字国際委員会(ICRC)の支援で巡回施設が立ち上がり、それからというものウ・マウン・ハウのように自宅の近くで受診できた人は何千にも上ります。

 

なくならない地雷の犠牲

 

ウ・マウン・ハウは兵士だった1980年に地雷を踏み、足を失いました。ミャンマーの地雷による事故発生率は世界でも最も高いと推定されています。これは、これまでの戦争やミャンマー東部での軍と武装グループによる何十年にもわたる戦闘による武器汚染がもたらしたものです。世界中の多くの国と同様、地雷の犠牲者はほとんどが一般市民です。ミャンマーの現状の整形外科医療とリハビリテーション・サービスでは、国内の犠牲者全員のニーズを満たすことはできません。

 

地雷の犠牲者の一人であるキン・サン・イも一般市民です。友人宅を訪ねる途中に地雷の事故に見舞われたときは、まだ14歳でした。しかし、義足をつけた彼女は、結婚し子供にも恵まれ、今では村で竹を売って生計を立てています。義足を調整をしてもらうために、バイクで2時間かけて巡回施設まで行くこともあります。

 

「この巡回施設は、自宅近くで修理のサービスを受けられるだけでなく、ほかにも利点があります」とICRCで身体リハビリテーションのプログラムを統括するディディエ・レックは話します。「パアン義手・義足センターに対する需要は高まっています。そのため、巡回チームが修理に特化したサービスを提供すれば、センターでは、理学療法も含めて完成に数カ月を要する新しい義手・義足の製作に集中できるのです。この巡回チームは、同じく私たちの支援で立ち上がったコロンビアでの同様のプロジェクトを踏襲したものです」と彼は続けます。

 

2014年に私たちがミャンマーで支援した身体リハビリテーション・プログラムでは、3251人が支援を受け、これにより多くの人の活動範囲が広がり、3737本の義手・義足が製作されました。受け取り手の半数は、地雷の被害者です。2014年7月に開始したミャンマー赤十字社による巡回施設では、パアンまで行くことができない1046人の患者が、義足やストラップの修理を行いました。

 

原文は、本部サイト(英語)をご覧ください。