在ヨルダン シリア難民:マルワの苦難と辛抱、希望のストーリー
紛争と厳しい生活状況が続くシリアから、何千もの世帯が安全な場所を求めてヨルダンへの避難を余儀なくされています。その過程で、多くの家族が互いに離ればなれになってしまうため、赤十字国際委員会(ICRC)は人々の行方を突きとめ、お互いに連絡が回復できるように、再会を手助けしています。
「私はただ、子どもたちが明るい将来を歩んでくれることだけを望んでいます。いつも神様にお祈りしています」。
これは、ダマスカスから避難してきたシリア難民のマルワの言葉です。話しながら、マルワの目には一筋の希望が宿っていました。ICRCの支援によって、マルワは10カ月以上離ればなれで過ごしていた二人の子供たち、6才のフセインと4才のレマーと再会することができました。
マルワの夫が昨年シリアで命を落としてから、マルワを苦しめる苦難の旅が始まりました。
「私の夫が亡くなってから、私は3カ月拘束されていました。私の姉ニスリーンが、7月にフセインとレマーを連れてヨルダンへ避難してくれました」と、当時を思い出しながら、マルワは語りました。「私の人生はバラバラになってしまったのです」。
昨年の9月に解放されてから、マルワはヨルダンにいる子どもたちと再会するために、砂漠を越える辛い旅に出ることを決心しました。残念なことに、この国外脱出はうまくいかず、マルワは失意のままにダマスカスに戻ってきました。
終わりのない苦しみの日々は6カ月以上も続きましたが、もう一度子どもたちに会いたいという彼女の決心は決して揺らぎませんでした。「私は、あの6カ月間、毎晩泣いていました。フセインとレマーの声を聞くと、必ず胸が張り裂けそうになりました」。
すると、ニスリーンが、ICRCの「追跡事務所」を通じてマルワと連絡を取れるようになりました。この「追跡事務所」では、アズラック難民キャンプのシリア難民へ電話サービスを提供しています。当時、ICRCの職員は、家族が再会できるようにと深夜まで働いていました。
二度目の挑戦
将来に不安を抱きつつも、マルワは今年の4月、再びヨルダンに向かおうと決意しました。マルワは2日かけて国境に辿り着きました。入国許可が降りるのを待っている間、マルワは心の中の葛藤について語ってくれました。
「シリアに両親を残していくのか、ヨルダンにいる子どもたちと再会するのか、私は身が引きちぎられる思いでした」。
マルワが家族との再会という目的でヨルダンに入国できるよう、ICRCはヨルダン当局の仲介を取り付けました。マルワが北東の国境地帯のルイシッド中継施設に到着したとき、ICRCはアズラック難民キャンプで彼女の姉ニスリーンから受け取った、「家族再会のための小冊子」をマルワに渡しました。マルワがすべての書類を整えて、家族との再会のための手続きを完了できるように。
「ルウェイシッドから、ヨルダン北西部の都市マフラクにあるラバ・アル・サルハーン登録センターに送られてから、私はヨルダン当局に自分の小冊子と身分証明書を示して、最後の許可が降りるのを待ちました。その時のことをよく覚えています。もうすぐ私の子どもたちに会えるという気持ちと、まだ会えないかもしれないという気持ちでいっぱいでした」。
家族と再会して
許可が降りるとすぐに、マルワはアズラック難民キャンプへ送られました。「私がキャンプの受付エリアに着くと、ニスリーンがフセインとレマーと一緒にやって来ました。フセインは私の腕のなかに飛び込んできました。レマーは、まるで私のことを覚えていないかのように、立ちつくしていました」マルワは涙ながらに話します。「この時の思い出は、私の頭のなかにも、おそらく子どもたちにも永遠に刻み込まれるでしょう」
フセインとレマーがまたマルワを母親だと理解するには、少しだけ時間がかかりました。「今でも、レマーは時々私のことを『ママ』ではなく『おばさん』と呼ぶんですよ」マルワは、目に涙を浮かべて話します。「レマーがまだ小さくて喋れなかったときに、私たちは離ればなれになってしまったので、レマーが話しているのを聞くたびに、今でもびっくりします」。
「私は、夫と兄をシリア内戦で亡くしました。母国シリアが恋しいです。家が恋しい、特に母親が恋しいです」。
「今の時点では、将来がどうなるか分かりません。ただ今は、私と子どもたちは安全な場所にいます。この戦争は悪夢ですが、私たちはいつの日かこの悪夢から目覚めるでしょう。私はそう信じています。ICRCの助けがなければ、私は子どもたちと再会できなかったでしょう」
マルワは、喜びと安心に満ち溢れて語りました。
原文は本部サイト(英語)をご覧ください。