アフガニスタン:数年ぶりに再会を果たしたいとこ
「自分の年齢は定かではありません。52か53歳くらいだと思います」と、笑みを浮かべながら話すハジ・シャーザダ。ヘルマンド州の中心都市ラシュカルガーからバスで丸一日かけてカブールにやって来ました。
ハジ・シャーザダは、2人の妻、4人の息子、4人の娘とその配偶者や孫と共に、ラシュカルガーに住んで10年になります。かつてはノウザドというヘルマンド州の田舎の小さな村に住み、父親から受け継いだ大きな農地で、4人の兄弟と共に農業を営んでいました。「アプリコットやアーモンドの木があり、米と小麦のプランテーションも持っていました。生活は安定していたんです」と、彼は思い出しながら語ります。
ところが10年前のある日、タリバンとアメリカ主導の連合軍の戦闘が間近に迫ってきたため、安全上の理由から村人に退避勧告がなされました。
「数週間生き延びれるだけのものを持って、近隣の安全な村へ移りました」と、ハジ・シャーザダは話します。「しかし3カ月経っても村に戻ることはできなかったので、ラシュカルガーに行く決心をしました」。
ノウザドの農場に戻ることができたのは4年後。「家の中のあらゆるものが奪われていました」と、ハジ・シャーザダは話します。「さらに悪いことには、深刻な干ばつですべての木々が死に絶え、今もその状況が続いているため、家族を村に戻すことができないのです」。
ハジ・シャーザダは、ラシュカルガーの食料雑貨店で会計の職に就きました。息子の一人は仕立て屋として働き、もう一人は金属のゲートを製造する製造所で働いています。「雑貨店のオーナーが食べ物や生活用品を給料とは別にくれるので、なんとか生活できています」と彼は続けます。
ハジ・シャーザダのいとこはプリチャルキ刑務所に拘束されています。「彼は私の娘と婚約していましたが、結婚式の2カ月前に捕まってしまいました。4年前のことです。その間、定期的に電話がかかってきましたが、会うことはできずにいました」。
家族面会日には、プリチャルキ刑務所に多くの人が押し寄せます。訪れた人はみな、食料や、衣服、衛生用品、家族からのプレゼント、そして子どもからのお土産などが詰まったカバンを抱えています。警備員が持ち物を検査している間は長いこと待たなくてはなりません。
刑務所で待っている間、ハジ・シャーザダの気持ちは絶えず変わりました。時には興奮し、退屈になり、いらいらし、落ち込む様子もみられました。「収容所の生活で彼は変わってしまっているでしょう、顔や肌、性格などが…わかりませんが、もしかしたら目の前に現れても彼だと気付かないかもしれません」と、心配します。
およそ2時間後、義理の息子とともにシャーザダが刑務所から出て来ました。心配はすっかり吹き飛び、足取りは軽く見えました。周りの人とこの経験を興奮気味に分かち合いながら、彼は今回の訪問を調整したICRC職員のファワドのほうを向いて言いました、
「なんてすばらしい日なんだ。私はこの瞬間を一生忘れないでしょう」。
原文は、本部サイト(英語)をご覧ください。