タンザニア:避難民の生活

2016.02.18
タンザニア北西部のキゴマにあるニャルグス難民キャンプにて、テントの外に座るンティラバンパと彼の子どもたち ©CC BY-NC-ND/ICRC/Lynette Kamau

タンザニア北西部のキゴマにあるニャルグス難民キャンプにて、テントの外に座るンティラバンパと彼の子どもたち ©CC BY-NC-ND/ICRC/Lynette Kamau

 

タンザニアの隣国ブルンジにいる家族や友人らと連絡を取るため、マイケル・ンティラバンパは赤十字の無料通話サービスを利用しています。彼はタンザニアのキゴマ地区にあるニャルグス難民キャンプで暮らしています。

 

「ブルンジに残っている親戚と話すことができて嬉しいです」と彼は語ります。

 

この日は、女性たちがンティラバンパのテントの脇で、熱されたキャッサバを木おけに入れてすりつぶしていました。キャッサバはほぼすりつぶされていましたが、完全に仕上がるにはあと数分かかる、と彼女たちは話します。この地道な作業には、3-4人の女性の手が必要です。

 

タンザニアのキゴマにあるニャルグス難民キャンプにて、キャッサバをすりつぶす女性たち ©CC BY-NC-ND/ICRC/Lynette Kamau

タンザニアのキゴマにあるニャルグス難民キャンプにて、キャッサバをすりつぶす女性たち ©CC BY-NC-ND/ICRC/Lynette Kamau

 

ンティラバンパはテントの外に座り、彼の目に映る遠い地を見つめています。12月、キゴマの丘に水をもたらす長雨の合間の暖かい日のことです。子どもたちはテントの外で遊んでいます。

 

ンティラバンパは力仕事ができなくなったので、キャンプオブザーバーになりました。

 

「ブルンジの首都ブジュンブラで自分の土地を守ろうとして負傷しました。ケガのせいでもう働くことができません」。

 

この土地をめぐる事件の後、ンティラバンパは家族とともにブジュンブラを去り、2015年の7月にタンザニアにやって来ました。それからというもの、家族の養育は、妻に頼らざるを得なくなりました。

 

彼は支援に感謝していますが、仕事のない状況や食料価格の変動に慣れません。彼の妻はキャッサバを探しにいきます。キャッサバはすりつぶされた後200タンザニア・シリング(約10円)で売りに出されるので、小さな収益でも一家の食生活を補う助けとなるのです。

 

「ブルンジでは大きな畑を持っていて、一度の収穫で必要なものはすべてそろえることができました。今では他の人に頼りっぱなしです」と現実を語るンティラバンパ。

 

昼食の準備が整い、子どもたちが加わります。家族たちと小さなテントの中に座る彼の目には、絶望が漂っていました。

 

避難民としての暮らし

ンティラバンパにとって、タンザニアで避難民として暮らすのはこれが初めてではありません。事実、これが3度目です。子どものうち2人はタンザニアで生まれたほどです。避難民として抱える苦しみと単調な暮らしは、8人の子どもの父として願わくば二度と向き合いたくない困難です。

 

ンティラバンパと彼の妻は、一刻も早く家に戻れるよう祈りながら、ブルンジの生活を忘れないよう昔話と歌を子どもに聞かせます。

 

避難民は弱い立場に追いやられ、苦難や不安、病気、負傷、死の危険へと晒されることになります。赤十字国際委員会(ICRC)をはじめとする国際赤十字・赤新月運動は、武力紛争や災害の影響で避難民・移民となった人々に対し、手紙や無料通話を通して家族や友人と連絡が取れるよう支援しています。ニャルグス難民キャンプでは2015年、10万回以上の無料通話が交わされました。

 

彼らの尊厳を損なわず、人道的な待遇を受けられるよう、私たちは避難民や移民の窮状に目を向け、手を差し伸べていきます。

 

原文は本部サイト(英語)をご覧ください。