アフガニスタンで障がい者に寄り添う伝説のイタリア人理学療法士:夢にまで見たこの仕事はまだ手放せない!と語る69歳

アフガニスタン
2021.08.19
アリ・アバド整形外科センター内にあるカイロのオフィス

アリ・アバド整形外科センター内にあるカイロのオフィス
©Mohammad Masoud Samimi / ICRC

カブール(ICRC)―2020年11月、ある気持ちよく晴れた朝に、アフガニスタンの首都カブールの「アリ・アバド整形外科センター」を訪れました。その広大な敷地内では、重度の障がい者のニーズを満たすために、多岐にわたる支援事業が赤十字国際委員会(ICRC)の管轄のもと行われています。

女性病棟と男性病棟はそれぞれ人があふれ、主に地雷によって手足を失った患者が、理学療法や義肢を新調するための診察を受けています。

患者の中には、かなり前からセンターに通っている人もいます。20歳のビビ・ラヒマさんもそのひとり。9年前に自宅にロケット弾が落ちた際、家族は重傷を負い、叔母が命を落とし、ビビさんは両足を失いました。彼女が義足を新調するのはこれで3度目で、これからも生涯にわたり治療を続けて行く必要があります。学校に行けない時期もありましたが、今は遅れを取り戻し、必ず修了して、いつか医師になると決意しています。

生まれて初めて義肢を装着し、痛みに耐えながら最初の一歩を踏み出そうとしている人もいます。28歳のアフガニスタン国軍の兵士、モハメド・アージャンさんです。8カ月前に、乗っていた車が地雷に乗り上げて、両足と片目を失いました。別の仕事を見つけることは難しいと悟ってか、彼は一日も早く歩けるようになって軍隊に復帰することを望んでいます。

アリ・アバド整形外科センターで、若い付添人と一緒に診察を待つ子ども

アリ・アバド整形外科センターで、若い付添人と一緒に診察を待つ子ども
©Mohammad Masoud Samimi / ICRC

小児病棟にいる患者のほとんどは、脳性麻痺を患っています。心配する家族に付き添われて、はるばる遠くから初診を受けにやってくる人もいます。病棟の外には、数十人の行列ができています。

病棟の他には、多目的の作業場があります。ここでは技師たちが、義肢からギプス、松葉杖、車椅子の部品まで、患者が必要とするあらゆるものをせっせと作っています。

近所には、障がい者自身が義肢や人工装具を作る技師になるための資格を取得するコースを設けている国際認定校があります。そして、このセンターが何よりも誇りにしているのが、体育館。アフガニスタン代表チームに所属する選手をはじめ、約300人の車いすバスケットボール選手がここで練習や試合をしています。

こうした多岐にわたるICRCの整形外科事業を統括し、カリスマ的な存在として知られるイタリア人理学療法士のアルベルト・カイロは、次のように語ります。「今は通常時のようには稼働できていません。コロナ禍に見舞われてすぐの頃は、通常行っているサービスの8割が中断し、新規の患者の受け入れもできませんでした。今は、必要な個人防護具を確保し、できる限りソーシャルディスタンスを保ちながら徐々に再開できていますが、以前のようにはいきません。入院患者や紹介状案件の対応など、少なくとも全体の機能の4分の1が中断したままです。悲しすぎます」。

「入院患者や紹介状案件の対応など、少なくとも全体の機能の4分の1が中断したままです。悲しすぎます」(ICRC整形外科事業統括、アルベルト・カイロ)

カイロはさらに続けます。「おもちゃや雑貨を作る工場とは違い、こちらの都合で製作を止めるわけにはいきません。私たちのサービスなしには暮らしていけない人がいるんです。他ではできないことが多いので、何が何でも稼働し続けることが重要なのです」。

カイロによると、需要が多く、対応が追いつかないサービスもあるということです。例えば、脳性麻痺の子ども約900人が診察の予約待ちをしていますが、コロナ禍の影響もあり、最低でも半年待たなければ受診できない状況です。「ここでは、新型コロナウイルス感染症といえど、数多くある脅威のひとつにすぎません。生計を立て、食べて行くために人々は働かなければならず、ロックダウンなどと言っていられません。日々を生き抜くためにはリスクを負わざるを得ないのです」。

カブールにおける整形外科事業は、1988年にスタートして以来目覚ましい発展を遂げ、今では国内7カ所でリハビリセンターを運営するまでになりました。これまでに登録された障がい者の数は約19万人で、年平均15万人超が国内のいずれかのセンターで治療を受けています。

こうした患者の約4人に1人は、主に地雷や不発弾などの爆発性戦争残存物により手足を失っています。ほかには、ポリオや脊髄損傷、先天性奇形、脳性麻痺などの患者、また事故にあった人などさまざまです。少なくとも数年、多くの場合は生涯にわたって治療を必要としています。

カイロは、今から30年以上前の1990年に母国のイタリアを離れ、カブールでの任務につきました。以来、ライフワークとしてICRCの障がい者リハビリ事業に取り組み、現在の形にまで発展させた立役者です。この整形外科センターが誇る功績は数えたらきりがありません。ただ、カイロ自身が最大の功績として挙げているのは、815人いるスタッフのほぼ全員が障がい者である、という点です。

「設立当初からこのセンターでは、ポジティブな意味での差別化政策をとり、身体障がい者のみを雇い入れてきました。なぜなら、それがすべての人にとって良いことだからです。スタッフは、患者のニーズや課題が手に取るように理解できるのと同時に、患者に希望とモチベーションを与えます」とカイロ。「最初はICRC内部ですら説得するのに苦労しましたが、このやり方は上手くいくと私は確信していました。社会参画をする機会をすべての人に与える“インクルージョン”が重視される今なら、こうした取り組みの妥当性を疑う人などいないでしょう」。

「スタッフは、患者のニーズや課題が手に取るように理解できるのと同時に、患者に希望とモチベーションを与えます」

アリ・アバド整形外科センターで義肢の部品を組み立てるスタッフ

アリ・アバド整形外科センターで義肢の部品を組み立てるスタッフ
© Mohammad Masoud Samimi / ICRC

センター職員の採用枠が埋まると、次にカイロは職業訓練と少額融資制度を用いた経済自立支援に着眼しました。最初は下半身麻痺の患者のみが対象でしたが、最終的にはすべての障がい者を対象とするようになりました。ここ数年の間に、仕立て屋や大工、溶接工、薪や青果の小商いなど、約11,000件の起業を支援し、小口融資を行いました。

「こうした支援なしには将来の見通しが立たない人たちに、希望と機会を与えるものです。残念ながら、この事業もコロナ禍のあおりを受け、少なくとも当面は大幅に規模を縮小せざるを得ない状況です」

さまざまな事業が発展を遂げる中で、カイロが心弾ませ喜んでいるのが、近年力を入れている障がい者スポーツへの取り組み、特に車いすバスケットボールです。「障害を持つ人々がスポーツするなんて、以前は、必要なことというよりは贅沢なことだと思っていました。でもふたを開けてみたら、有益なことばかりだったのです。身体の機能を回復し、社会とのつながりを取り戻し、何よりも楽しい!ただ見ているだけでも楽しいんです」。

アリ・アバド整形外科センターで、初めて義足を装着するモハメド・アージャンさん(28歳)

アリ・アバド整形外科センターで、初めて義足を装着するモハメド・アージャンさん(28歳)
©Mohammad Masoud Samimi / ICRC

アフガニスタンには、車いすバスケットボールのナショナルチームがあり、選手たちは海外でも活躍しています。海外遠征の期間中、ほんの一時でも“セレブ”として扱われることで、障がい者に対する世間の目が大きく変わった、とカイロは語ります。「おかげで、障害を理由に普通の、もしくは限りなく普通に近い生活を送ることができない、というのは間違いだと人々が理解するようになりました」。

2019年にアフガニスタンの名誉市民の称号を贈られたカイロも、今年で69歳。そろそろ引退を考えているのかと本人に尋ねると、笑顔でこう返してきました。
「私自身の幸せのためにも、この先ずっと人の役に立っていたいんです。なので、たとえ引退したとしても、ここで、何らかの形で障がい者やスポーツに関わっていくつもりです。でもやっぱり、夢にまで見たこの仕事を今手放す気はありません。まだまだやりたいことはたくさんありますから」。

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