現場で働く日本人職員: フィリピン ミンダナオ島コタバト事務所 所長 松沢朝子
【プロフィール】
大学卒業後、国会議員秘書、民間企業勤務を経て英国の大学院で修士号取得。専門は国際人権法。その後、外務省在ジュネーブ国際機関日本政府代表部、国連、内閣府PKO事務局にて勤務後、2013年よりICRC勤務開始。東アフリカ(南スーダン、ウガンダ、エチオピア)でのミッションを経て、2016年10月よりミンダナオに着任。
フィリピン・ミンダナオ島のマラウィ市では、2017年5月から、政府軍と武装勢力による戦闘が始まり、約40 万もの人たちが、戦闘により避難を強いられています。
―フィリピンではどのような仕事を主にされているのですか?
フィリピンのミンダナオ島にあるICRCコタバト事務所の所長を務めています。ミンダナオでは政府とイスラム過激派間で紛争が以前より続いていて、フィリピンの中でもこの地域での人道支援は非常に重要な活動になっています。具体的には、紛争で住む場所を追われ、国内避難民となった人たちへの食料や水、生活物資の配付、保健衛生の整備、病院やクリニックへの薬品の付与、国際人道法を広く知ってもらうための講義などをしています。また、紛争により家を失い、仕事もなくなってしまった人たちを雇い、自分の家の再建することにより給料を支払うという活動もしています。
また、今年5月から武力衝突が続く南ラナオ州マラウィにおいては、紛争勃発当日から現地で直接的に人道活動を行えたのはICRCだけだっため、私たちの活動はしばらく完全にマラウィ対応に集中しました。とはいえ、マギンダナオ州でも新たなイスラム過激派による台頭と政府間との交戦が存在しており、予断を許さない状況であるため、現在は同地域にも目を配りながら活動を継続しています。
―最初の1カ月はICRCだけだったとのことですが、それが可能だったのはなぜでしょうか?
コタバトでは、事務所開設以来、各関係者とのネットワーク構築をしながら紛争の影響を受けやすい場所で積極的に人道支援を行ってきました。こうした基盤があったからこそ、マラウィ危機勃発直後から緊急支援を実施でき、また結果として多くの人たちに直接的に人道支援を届けることができたと考えています。
―マラウィの戦闘において、今後、懸念されることを教えてください。
マラウィ市内の多くの建物が破壊されているため、たとえ紛争が終結しても多くの人々が避難生活を継続せざるを得ないことが予想されます。ICRCは現在も、避難所やその近隣でインフラ整備などを行い、飲料水へのアクセスを確実にするなどの生活支援を行っていますが、そうした支援の継続、帰還民への支援、マラウィ市の再構築および復興支援が今後必要になるでしょう。また、市内の紛争地域には紛争終了後も多くの簡易爆弾や不発弾が残るでしょうから、そうした課題への対応も必要になります。
―コタバト自体はどのようなところですか?
外国人スタッフは治安上、外を歩くことが禁じられていて、戒厳令の中、門限もありますので不便も感じます。しかし、コタバトは自然が美しく気候も過ごしやすく、新鮮で美味しい魚介類が安く手に入りますし、とても良いところです。また、ミンダナオは島全体を通して親日度が高く、人々も親切でとても気さくであると感じます。ミンダナオ各地で紛争が続いていることから今後も目の離せない時期が続くことが予想されますが、私たちとしては、組織の中立性、公平性等の原則を守りつつ、いかなる変化にも迅速に対応できるように活動をしていくつもりです。
―個人的なことについてお伺いします。数ある人道支援組織の中からICRCを選んだ理由について教えてください。また、ICRCの魅力とはなんでしょうか。
もともと人権法を専門としていましたが、密接に関係する人道分野でいつか実際に紛争地に身を置き、自分の目で現実を見て紛争被害者や当事者と直接接し、フィールドをきちんと体感したいという気持ちがありました。そして、人道支援機関ならば、長い活動歴史を持ち、フィールドに強く、公平性の原則を厳しく守り続けるICRCが自分に一番向いていると思ったので、ICRCを選びました。実際に働いてみると、もちろん問題にも直面しますが、それでもICRCの魅力を強く感じます。例えば、相手がどのような武装グループでも中立性を貫きつつ対話の機会を模索し、人道支援のニーズがあればどのグループも支援します。そのようなことができるのはICRCだけではないでしょうか。中立・公正の原則と守秘義務を厳格に守ることにより、ICRCが受け入れられ、信頼を得ていることにつながっていると思います。加えて、現場に裁量権がかなり与えられていて、時間を要する決済手続きを待つことなくタイムリーに人道危機に対処できることにも満足しています。また、専門性の異なる同僚たちも人道主義と現場意識を強く持っていて、彼らから刺激を受けることも多々あります。「人」もICRCの魅力を支えていると感じます。
また、ICRCは他の組織が行けない、または行かないような紛争の中心地で活動をしています。いわば紛争のディープフィールドと言われるような場所ですら、武器を携行した警護に守られることもなく、防弾チョッキやヘルメットも着用せずに赤十字標章だけを着用して行くのです。そのような場面では、紛争当事者たちと時間をかけて築き上げてきたネットワークや信頼関係によってチームの安全が決まるとも言えます。前任者たちの時代から少しずつ作りあげてきた人脈が、今日のICRCへの信頼につながっているからこそ、自信をもってチームを送り出す決断ができるわけです。もちろんフィールド活動の途中で疑念を感じたり、何か変化があればチームを撤退するという柔軟性も忘れません。スタッフの安全確保は非常に重要であるため、紛争地での活動では全員が拠点に安全に戻るまでいつも心配ですが、フィールド活動を管理することから学ぶことも多く、このような経験もICRCならではと感じます。
―これまでの活動の中で、ICRCの職員として感じた最大の喜びは何ですか?
いろいろありますが、ウガンダで勤務した際に元子ども兵士の家族再会支援に関わった時のことが印象に残っています。彼らは10代前半から武器を持ち、生きるために何年も山中で戦ってきました。私が初めて彼らに会った時は、年頃のティーンエージャーというよりは既に兵士の感覚を強く持ち、置かれてきた困難な環境からも、私たちに心を開いてくれませんでした。長い時間を要するたくさんの手続きや準備が終わり、いよいよ親と再会するために国境を渡ることになった前日、国境では検問もあり所持品などもチェックされる可能性もあるので、「武器や薬物などの持ち込みは一切禁止」と強く伝えました。出発当日、念のために彼らの荷物検査をしたところ、マリファナを靴の下敷きに隠し持っていた青年がいました。事の重要性を理解せず、全く反省の色を見せない彼に対し、本気で叱りました。一人のために全員の国境越えが許可されなくなることを説明したところ、その青年は初めて自分の過ちに気づき、反省して謝ってくれました。その後、車で数時間かけて距離を進み、国境の反対側で私たちの到着を待つ同僚たちに合流する手前で車を止め、お別れの前に皆で一緒に写真を撮りました。その際、先ほど叱られた青年が最後まで私から離れようとしなかったんです。その時に、「ああ、彼はこれまで大人に本気で心配され、叱られたことがなかったんだな。こちらが本気で叱ったことにより初めて心を開いてくれたのかな」と感じました。学校へも行かず、若い時に家族と離れて過酷な環境下で兵士として戦ってきた元子ども兵士たちが、最後にティーンエージャーらしい若者の笑顔を取り戻してくれた、その現場に居合わせることができたことは幸せでした。ICRCの仕事は、どちらかというと辛い場面に遭遇することの方が多いのですが、元子ども兵士の家族再会支援活動は前向きなものでした。今も、とても鮮明に覚えています。
―最後に日本の方々へメッセージをお願いします。
日本は紛争状態になく平和な国であると言えますが、世界には、紛争下で人道支援を必要としている国や人々が多く存在します。「自分には関係ない」と無関心でいるのではなく、日本のように平和な国にいるからこそ、支援や保護を必要とする人々に対し、何かできることはないかと関心を持って頂きたいです。紛争現場に身を置かなくともできることはたくさんありますし、ICRCは世界中で活動を展開していてウェブサイトでも紹介していますので、ぜひ覗いていただきたいです。
聞き手:インターン 高木 真緒