リュックサック一つで現場に向かう~フローレンス・ナイチンゲール記章を受章した髙原美貴さんの“シンプルで謙虚”なスタンス
「人を支えることができる大人になりなさい」。これは、髙原さんが祖父から教わった大切な言葉。幼い頃、兄が事故にあった際、寄り添ってくれた看護師たちの優しさに触れ、看護師がこそが「人を支える」重要な役割を果たしていると感じたと言います。それから髙原さんは、看護師を志すようになりました。
姫路にある赤十字看護専門学校に進学し、看護師になってからはアフガニスタンやスーダンなど12カ国18回の国際救援に従事してきました。しかし、そんな髙原さんのキャリアにも、紆余曲折があったそうです。
1987年に看護学校を卒業し、姫路赤十字病院で看護師として働き始めた髙原さん。何か新しいことに挑戦してみたいと一念発起してカナダに渡り、日本人とアメリカ人の観光客を対象にしたツアー・コーディネーターとして数年間働きました。しかしある日、「カナダ人の同僚が、人を観察してニーズをとらえる私の特性に気づき、看護師を続けるよう背中を押してくれたんです」。
看護師に戻った髙原さんは、海外を舞台に数々の人道支援活動に携わりました。言語や文化など、さまざまな挑戦や難しい状況に出くわすのは 赤十字運動(国際赤十字・赤新月運動)のスタッフだからこそ、と冗談交じりに言います。髙原さんを突き動かしている動機について聞くと、「なんでしょうね」と一言。「何気ない日常にこそ喜びを見つけることが必要なのかもしれません。私は、人との出会いや、これまで行ったことのない場所に行くのが好きなんです」と語ってくれました。
百戦錬磨の髙原さんですが、赴任先で何度も衝撃を受け、時には立ちすくむこともあったと言います。
そのなかでも記憶に残っているのは、ケニアのICRCの戦傷外科病院で勤務をしていた時のこと。8歳くらいの少年が銃弾を受け運ばれてきました。直前まで銃撃戦に参加していたそうで、髙原さんと現地の看護師は、銃を捨てて戦いをやめるよう語りかけました。
すると少年は、髙原さんの目をまっすぐ見ながら「もし、僕や家族が撃たれても、やり返さないってこと?誰が僕たちを守ってくれるの?」と言い返してきました。髙原さんはどう答えていいのか戸惑ったと言います。その少年との出来事をきっかけに、相手のスタンスに賛成しようがしまいが、目の前にいる人の状況を理解し、最善を尽くすことこそが大切なんだと気付かされたそうです。
「紛争地の人を助けること」についてどう思うかと私たちが聞くと、髙原さんは次のように答えました。「私は一度も自分の仕事に満足したことはありません。十分な活動ができたか、もっと何かできたんじゃないか、どうやれば上手くできるか。常に自問自答しています」。
その勤勉さと謙虚な姿勢は、姫路赤十字病院の看護部長、駒田香苗さんが髙原さんをフローレンス・ナイチンゲール記章の受章者に推薦した理由でもあります。
気取らずまっすぐな性格の髙原さんについて、駒田さんが語ってくれました。「私たちは、髙原さんが知らないところで、ナイチンゲール記章へのノミネートを準備していました。最終的に彼女自身からの情報提供が必要になり、そのことを伝えると、渋々応じてくれました。髙原さんはそういう人なのです。海外ミッションにスーツケースを持って行くことも稀です。今年、シリアに出向く時もリュックサック1つだけだったと思います。髙原さんはとにかくシンプルを好むのです」。
「ナイチンゲール記章には、もっと相応しい人が他にもいるはず」。謙虚さをまとい、そう語る髙原さんの輝きは、誰の目にも明らかです。
髙原さんにとって看護師とは、単なる職業ではなく、彼女自身のアイデンティティです。
8月19日は #世界人道デー
紛争や災害などの現場で #人道支援 に携わる人たちは、どのようなモチベーションで働いているのでしょう?🧐
これまで11カ国17回のミッションに参加し、今年「フローレンス・ナイチンゲール記章」を受章した髙原美貴さんにお聞きしました💬#WorldHumanitarianDay pic.twitter.com/x9fs3dyAjK
— 赤十字国際委員会 (@ICRC_jp) August 19, 2023
他の2023年「フローレンス・ナイチンゲール記章」受章者のストーリーはこちら(英語):https://www.icrc.org/en/document/care-amid-conflict-florence-nightingale-medal-2023