2020年ICRC年次報告公開に伴う ICRC総裁ペーター・マウラーのメッセージ
はじめに
2020年は、先行きが全く見通せない中、非常に難しい問題に立ち向かい、状況に適応することが求められた1年だったと言っても過言ではないでしょう。戦闘行為や自然災害、不十分なガバナンス、貧困、そして医療不足に以前から苦しめられていた地域コミュニティーが、コロナ禍で窮地に追い込まれている現実が白日の下にさらされました。
私は2020年、ブルキナファソやエチオピア、リビア、ニジェール、ソマリア、シリア・アラブ共和国(以下、シリア)、ウクライナなどのICRCの活動現場を訪問しました。各地で、無差別な戦闘がもたらす深刻な人道上の被害を改めて目の当たりにしました。家族や住居、生計を失った人や長年の暴力に疲れ果てた人、戦争がいかに無慈悲で人道にもとるかを語る人など、様々な人に出会いました。子どもたちは建物の瓦礫が散乱する中で育ち、教育を受けられていません。幾度となく避難を余儀なくされた人もいます。行方不明となった愛する人の消息を求める人々の苦悩が、時間の経過とともに癒えることはありません。
現代の紛争は長期化しています。国が何十年にもわたって危機にさらされ、苦しみやトラウマが世代を超えて受け継がれています。2020年、ICRCがイラクで活動を始めて40年を迎えました。イエメンでは60年以上、アフガニスタンでは33年にわたり活動しています。
紛争にコロナ禍が追い打ち
世界中を襲ったコロナ禍は、すでにある危機に拍車をかけ、多くの地域コミュニティーをさらに失意に追い込むとともに、医療や社会、経済システムを深刻な状況に陥れました。
シリアやイエメンなどの地域では、医療体制は元々半分も機能していませんでした。また、「手を洗う」「人との距離を保つ」「家で過ごす」という3つの感染予防策の実践は、ICRCが活動している避難民キャンプや刑務所のような状況下では難しいものです。これらの場所では、清潔な水が不足し、多くの人が密集して暮らし、また、長きにわたって避難生活を強いられている何百万もの人々にとって、「家」は遠い昔の思い出でしかないからです。
コロナ禍への対応に重点を置かざるを得なかった国々では、子どもへの予防接種や慢性疾患の治療、心のケアなど、他の健康問題への対応がおろそかになりました。さらに、経済危機に陥った地域コミュニティーでは、すでに危機に瀕している人々がさらに追い詰められました。多くの人が、持てる者と持たざる者の間に広がる格差に、不公平感と不満を募らせました。
不公平の拡大とICRCの対応
2020年の一年間で、世界にはびこる不平等さと、人々をいかにして守るかという問題が浮き彫りになりました。「みんなで一緒に乗り切ろう」――コロナ禍が世界各地を蝕み始めたとき、世界中のリーダーたちが声高にこう叫んだのは、ウイルスが差別なく全ての人に影響を及ぼしているように感じられたからです。しかし、真実は違いました。こうした「結束」を求める美辞麗句もむなしく、コロナ禍での不平等は悪化しました。すでに社会から疎外され不利な立場に置かれている最も対応力のない人が、誰よりも深刻な影響を受けています。
コロナ禍で紛争や暴力の犠牲となっている人々のニーズを満たすべく、ICRCは対応の強化が求められました。様々な困難が伴う中、私たちは制限下でも活動を継続するための態勢を迅速に整え、コロナ禍に特化した対応を開始しました。ICRCはそもそも危機対応のために設立された組織ですから、これは驚くに値しません。私は、ICRCのスタッフが逆境の中でも一貫して能力を発揮していることを常に誇りに思ってきました。
コロナ禍で顕著になったこと
コロナ禍は、単なる医療危機に留まりません。清潔な水や衛生設備の提供から、生計の保護や自立支援に至るまでの幅広い支援を含む、より包括的な人道援助の継続が必要であることを浮き彫りにしました。さらに、ICRCの保護活動や、国際人道法および治安維持を目的とした武力行使の制限を尊重するよう促す努力が重要であることも明らかにしました。私たちは、国家や非国家武装集団、地域コミュニティーや宗教のリーダーなど、紛争や暴力を伴う事態下において影響力を持つ全ての関係者との対話を続けなければなりません。
また、コロナ禍への対応にあたって、ICRCは2019~2022年の戦略の5つの柱を再確認しました。それらは、①保護と予防の優先、②紛争や暴力下にあるコミュニティーのニーズを確実に踏まえた支援、③デジタル変革の推進、④多様性と包括性の促進、⑤国際赤十字・赤新月運動を構成する組織など、その他の組織との連携、の5つです。
現実を変える、そして行動する
コロナ禍は、私たちが初めて共に対峙する世界的な危機でもなければ、これが最後の世界的危機にもならないないでしょう。数々のパンデミックや気候変動、誤った情報など、昨今の問題の多くは国境を超えて広がっています。こうした状況下で、すでに最も弱い立場に置かれていて、最も持たざる人々が世界的な危機の影響を強く受ける現実を、私たちは変えなければなりません。人類が共有する規範や法的枠組みに反して、人道的で尊厳のある扱いがなされていない場合、私たちは行動にでなくてはなりません。そのためには何よりもまず、世界の全ての国が遵守すべき、国際人道法を尊重することが大切です。
職務としての人道支援は、単に食料を届けるだけに留まりません。現場に駆け付け、活動を受け入れてもらうための交渉や、政治的・社会的な緊張を回避するためのスキルが重要で、必須です。破壊と対立が著しい紛争下においても、紛争当事者間で人道上の目的を共有するための対話を行えば、負傷者の搬送や、国境や支配地域を超えた人道援助、尊厳ある遺体の返還などについて、共通の基盤を見出すことができるのです。ICRCは、中立を保つ仲介者として、こうした相互の信頼関係の構築を促すことが求められています。例えば、昨年10月には、イエメンの紛争に関連して拘束された1,000人以上の帰還を手助けしました。この帰還事業は、2018年のストックホルム合意に基づいて2年にわたり協議を重ねた結果であり、当事者と長年にわたって信頼関係を築き上げてきたからこその成果です。
終わりに
緊急事態が続く中、中立・独立・公平を掲げる人道支援は、かつてなく重要な役割を果たします。ICRCの活動に賛同し、活動を支えてくださる皆様に心より感謝申し上げます。2020年は、資金面でも厳しい1年でした。ICRCは、今回のような難局に備えて積み立てておいた活動準備金を取り崩すという、滅多にない決断も下しました。この資金を利用することで、2020年度の決算を終え、2021年度を健全な財務基盤をもってスタートすることができました。今後数年の間は、活動準備金を補充することにより、ICRCの財政基盤の安定・強化に注力していきます。
このような難局に、私たちに協力してくださる寄付者やパートナーの皆様にも御礼申し上げます。皆様からのご支援は、戦争や暴力の恐怖に直面している世界中の何百万もの人々を保護・支援するという、ICRCの命に寄り添う活動を継続するために欠かせません。
ICRC総裁 ペーター・マウラー