ICRC総裁の声明:マリウポリの悲劇がウクライナ全体の未来像であってはならない
現在(3月17日時点)、ウクライナに滞在中の赤十字国際委員会(ICRC)のペーター・マウラー総裁による声明は以下。
キーウ(ICRC)―キーウ(キエフ)に向かって車を走らせていると、紛争の気配が徐々に色濃くなって行きました。まず、キーウを離れようとする車の列が目に入り、続いて、爆撃された建物、そしてようやく不気味なほど静かな首都にたどり着くことができました。私たちは一人の医師に会いました。アパートが破壊され、妻と息子がキーウ市内の自分の病院に身を寄せているとのことです。彼は仕事を続けていて、息子もオンラインで勉強を続けているということです。マリウポリから悲痛な映像が新たに届き、紛争により民間人が最も重い犠牲を強いられていることが、さらに明らかになりました。
私は今週、キーウに滞在しています。紛争当事者に緊急要請を行うためです。民間人や、既に戦闘から離脱した人々が一時的にでも安息の時間が持てるよう、紛争当事者こそが今すぐ行動すべき人たちだからです。
ICRC総裁ペーター・マウラー
当事者に対して訴えたいのは、人々の苦しみを軽減するために、どんな些細な行動の機会も逃してはならない、ということです。例えば、今週、スムイではわずかながら希望の光を見出すことができました。中立の立場で人道支援を行う、ウクライナ赤十字社とICRCのスタッフが、子どもや高齢者、患者を含めた数千人に対して避難を支援したのです。その際に垣間見られた人類愛、助け合いこそが、私たちが切に必要としているものです。一方で、子どもたちが学校へ向かうバスに乗るのではなく、行先もわからないバスに乗らなければならないことに心を痛めています。
この紛争は住民に甚大な被害をもたらしています。当事者は、国際人道法を尊重し、住民の苦しみを最小限に抑えるために、停戦を待たずに、今すぐ次の措置を取らなければなりません。
1.マリウポリなどの都市からの安全な避難経路の確保について具体的に合意すること。住民が戦闘地域から逃れられるようにしなければなりません。具体的な内容に合意し、広く共有する必要があります。
2.人道支援が入り込める経路を確保すること。当事者は国際人道法の下で、その支配下にある人々が援助を受けられるようにする、または援助が届くようにする義務を負っています。
3.戦闘に参加していない人々は、自宅であれ移動中であれどこにいようと、また、いわゆる“人道回廊”を使おうと使わなかろうと、確実に攻撃から守られること。
4.病院や学校、水道・電力施設など、公共のインフラを攻撃しないこと。
5.捕虜および拘束されている民間人に尊厳をもって対応すること。不当な扱いを受けたり、ソーシャルメディア上で画像が拡散されるなど、大衆の好奇心にさらされることから確実に守られるべきです。1949年のジュネーブ諸条約は、捕虜であれ民間人であれ、面会など被拘束者へのアクセスをICRCに保証しています。
ウクライナ滞在中には、同国のデニス・シュミハリ首相や、イリナ・ヴェレシュチュク副首相、オレクシイ・レズニコフ国防相、オレクサンドル・クブラコフ・インフラ担当大臣、首都キーウのビタリ・クリチコ市長と会談し、現地の人道ニーズについて議論しました。また、ウクライナ赤十字社の専任スタッフやICRCの同僚とも対話を行いました。現地の人々に寄り添い、必要不可欠な支援を届けている職員を非常に誇りに思います。
ICRCはこれまで8年にわたり、ウクライナのドンバス地方で暮らす住民の苦しみを和らげるために支援を行ってきました。ルハンスクとドネツクを前回訪問した際、私自身がそうした活動をこの目で見ました。ICRCは、今後も活動を止めるつもりはなく、むしろ規模を大きく拡大しています。今週、医療品や数千枚の毛布、キッチンセット、防水シートなど、200トンを超える救援物資がウクライナ国内に到着しました。さらに、医療従事者や武器汚染の専門家、エンジニア、物流の専門家など、助けが必要な人々の状況をすぐにでも打開できるよう、職員を数十人現地に増員しました。
ウクライナで紛争下にいる住民は、この先どうなるかと怯えきっています。暖房のない地下室に身を寄せる家族は、自分たちが今いる地域が前線になっていることを認識しています。女性や子どもたちは、寒空の下、避難所を求めて歩き回っています。8年にわたる紛争に続く今回の危機が、追い打ちをかけています。
現在、キーウにはまさに人っ子一人歩いていませんが、ここで隠れて暮らしている住民のほとんどは、まだ水道水や電気が使え、医療を受けることもできています。一方で、他の多くの都市で、家族は外に出ることもできず閉じ込められたまま、生き延びるために十分な水や食料を確保することさえできていません。
私たちがニュースなどで目にするマリウポリの悲劇が、ウクライナ全体の未来像であってはなりません。