失われても、決して忘れない:失踪者たちの物語

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毎年8月30日の「強制失踪の被害者のための国際デー」、その日、私たちは武力紛争、暴力、移民、もしくは災害を理由に失踪した数えきれない人びと、そして答えの定まらない苦悩を抱えるその家族に対し敬意を表します。世界各地で、場合によっては十年単位で、行方不明になった家族の消息を待ち続けている人びとがいます。その生活は、まるで希望と悲しみの間を宙ぶらりんに生きているような、家族の消息を求めながら答えの出ない苦痛に苛まれる日々です。本稿では、失踪がもたらす傷、家族のレジリエンス、そして行方不明者の運命を明らかにし、家族の知る権利を守るための取り組みを共有します。
南スーダン: 紛争によって引き離された家族
数十年にもわたる紛争と避難によって家族が離ればなれになった南スーダンでは、何千人もの人びとが家族の消息を知らされていません。ニャコルの兄が、2014年のマラカルの戦闘で行方不明になったのは彼女が18歳のときでした。10年経った現在も、家族は兄の生死や行方がわからない重荷を背負い続けています。
2023年、隣国スーダンを逃れた祖母ナフィサは、混乱の逃亡生活以降、7歳の孫アハメドと再会できていません。不確実な未来の見通しが家族に重くのしかかるなか、2人の女性は自身の大切な思い出を胸に秘めています。
紛争は、南スーダンとスーダン全域で何十万もの家族を離散させました。2025年6月時点で、ICRCと南スーダン赤十字社は6千件以上の行方不明者案件に対応しています。真相が明らかになって安心する家族とは対照的に、大半の家族は肉親の行方を探し続けています。
ヨルダン: シリア人失踪者の存在を保管する「メモリーボックス」
シリア出身で身内が行方不明者となった家族は、多くの場合10年以上、痛みと不確実性と共に生きてきました。
赤十字国際委員会(ICRC)ヨルダン代表部は、ヨルダン在住のシリア人行方不明者の家族支援を目的に、家族に寄り添うプログラムの一環で家族の思い出を保存・共有する活動「メモリーボックス」による心理社会的支援を始めました。この取り組みは、支援グループから生まれました。集団的な枠組みをとおした支援を経験した人びとが、同じような集合的経験をとおして、他者と共に喪失を乗り越えることを主眼としています。
それぞれの箱には、眼鏡、香水瓶、手紙、腕時計、家の鍵の束などの私物が収められています。私物そのものには数々の記憶が宿り、家族は行方不明者の存在を感じることができます。アブデュルにとって、彼の兄アラアの眼鏡は、兄の視点を通した世界への入口です。その香水の香りは、不在後も生き続ける兄への愛を感じる記憶の名残りになります。母ワファは、行方不明となった息子の手紙から、安らぎの念と引き続きの捜索の意志を得ています。
メモリーボックスは、単なる象徴的な形見に留まらず、集合的なレジリエンス回復の証明になります。悲しみを追憶に、沈黙を物語に変容させるのです。失踪した人びとの形見を守ることによって、いつか答えが明かされ家族が眼前に戻る、という希望を生き続けることができるのです。

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ウクライナ: 不確実性とともに生きる家族の声
ウクライナでは、数千もの家族が現在進行形の紛争のなか、失踪した肉親に起きた出来事がわからない苦悩に耐えています。ICRC制作の2本の短編映像は、この不在の日常と希望を胸に、痛みと向き合う方法を模索する女性たちの声を紹介しています。
祖母リュドミラは孫が行方不明になり、孫の不在が残した心の荒廃を抱えています。彼女自身、そして他者の悲しみを和らげるため、リュドミラは同じ境遇の家族とソーシャルメディアでつながっています。詩をとおした心の癒しを目指すグループを運営し、沈黙に苛まれる参加者に慰めを提供しています。
最前線で戦死したパートナーについて語るナタリアは、パートナーの失踪後、毎日が「拷問のようだった」と語ります。また、残された人びとの現実を「引き裂かれた魂とともに生きるよう」と表現しています。その率直な証言は、ウクライナ全土の家族が抱える切望の念、失踪した家族の近況とその答えを知りたいという想い、を反映するかのようです。
こうした個々の喪失の物語は、すべての失踪者の背後にある、人生が宙ぶらりんになった親族と友人たちの存在、を思い起こさせてくれます。失踪者の家族はレジリエンスと連帯を胸に、希望を絶やさず、愛する家族におきた明瞭な真実を求め続けています。
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