遊技場ではなく戦場の記憶を心に刻む子どもたち

イスラエル・パレスチナ自治区
2021.09.01

(イスラエル/パレスチナ自治区)―先日、2021年5月にガザとイスラエルの間で勃発した戦闘は、赤十字国際委員会(ICRC)がここ数年の間にこの地域で目の当たりにした最も熾烈な戦闘のひとつでした。この戦闘の激化は、そうした状況下で暮らす人々、とりわけ子どもたちの心に、見た目にはわからなくとも、重大な影響を及ぼしました。

紛争下における子どもたちの心のケアは、ときに命に関わるものであり、出血した傷口を縫うことや清潔な水を確保することと同じくらい重要なことです。ICRCは、紛争下で、また紛争終結後に心のケアを提供することは、紛争の犠牲となったコミュニティーの社会基盤を支えるうえでも不可欠だと考えています。

戦闘が繰り返されると、人々の負担は増して行きます。戦闘が止む頃には、とりわけ子どもたちは、途方も無く大きな心の傷を抱えていることになります。また特に、負傷した人や愛する人を失った人は、つらい記憶や悲しみを抱え続けることになります。

実際、両地域の子どもたちは、戦闘下で負った心の傷を、これから数年に渡って抱え続けることでしょう。ドローンの音やロケット弾の音、空爆の音、サイレンの音……イスラエルとガザの子どもたちは、こうした恐怖から解放されてはいません。ストレスや恐怖感、イライラ、絶望感、おねしょなどの心的症状が見られ、トラウマとなる出来事や悪夢を思い出すきっかけになるものは映像であれ何であれ避けようとします。

私たちがガザで出会った、アフド、ビラル、アマル、ラハフ、そして、イスラエル南部で出会ったシャケド、アヤナ、ウリア 、ノガ、ラム、ロイト 、アルマは、紛争下で経験したことや感じたことを語ってくれました。

髪をとかすガザの女の子

©ICRC

「空爆の音と救急車の音が、頭から離れないの。夕方、暗くなるととても怖くなる」と語るのは、ガザ地区のアルブレイジュ難民キャンプで暮らす11歳の少女、アフド。

アフドは、爆弾の音がするたびに、おびえて母親にかけより、その膝の上で身を縮めたものでした。祖父母の家に避難することもありましたが、やがて祖父母は、家族が望んだこともあって、より安全な場所に避難するために家を出て行きました。

イスラエル南部で暮らす10歳の少女、アルマは、ロケット弾の音を聞くたびにストレスを感じます。「一人でいて、シェルターが近くにないときに、ロケット弾が飛んでくるのが一番怖い。家や家族から離れているときにそんなことが起きたら……と心配になる」とアルマは語ります。

紛争下での心の健康が非常に重要なのは、戦闘が止んだ後もその影響が残るからです。子どもたちの緊張が解け、眠れるようになるまでには、紛争終結後、何日も、何ヶ月も、ときには何年もかかることがあります。

ガザ市で暮らす9歳半の少年、ビラルは、「朝6時に隣の家が爆撃された。爆撃の音があまりにも激しくて目が覚めた。亡くなった人やケガ人が瓦礫の下から引っ張り出されたときの光景が忘れられない」と語ります。

©ICRC

イスラエル南部で暮らす10歳の少年、シャケドは、今も気持ちの整理をつけられずにいます。現実から逃れ、衝撃的な体験を忘れるために遊ぶというシャケドは、「空想の世界で遊ぶんだ。そうすれば、現実のことを考えないでいられるから」と語ります。

同じくイスラエル南部で暮らす10歳の少年、ラムは、これまでに数回経験した非常事態のうちの一つを思い起こして、次のように語ります。「サイレンが鳴ったときは、家族と屋外にいたんだ。シェルターは遠く離れた場所にあったから、そこまで行って隠れる時間はなかった。両手で頭を覆って、地面に伏せるしかなかった。屋外では、身を隠せない。それで亡くなった人もいるので、屋外はとても危険だ」。

一方で、ガザの子どもたちは、身を守るために、一日中ずっと隠れていなければなりませんでした。ガザには地下シェルターがないからです。ビラルは、爆撃が止んだことを告げる救急車のサイレンが聞こえるまで、机の下に隠れて待つしかありませんでした。「すぐ近くで、激しい爆撃があった。机の下に座って隠れて、頭を手で覆っていた。爆撃が止むと、父がやって来て、私をなだめ、落ち着かせようとしてくれた」。ビラルは、近くで空爆が起きるたびに、こうした行動を繰り返さざるを得なかったと語ります。

ガザやイスラエルの子どもたちのための心のケアは必須と言えるでしょう。現実と折り合いをつけ、トラウマを乗り越えるための助けが必要なのです。「両親から遠く離れたところに一人でいるのが、一番怖い。ガザかイスラエルのどちらが停戦協定を破るかもしれないといつも不安で仕方がないんだ」とビラルは語ります。恐怖感も孤独感もいつまでも消えないのです。

©ICRC

家の中で誰かがドアを閉めるたびに、アマルの頭の中でも、ドローンや爆弾の音がよみがえります。ベイトハヌーンで暮らす10歳の少女、アマルは、「ドアの音を聞いた瞬間、『戦争が再開したのかな。家を失ってしまうのかな。死んでしまうのかな』と考えてしまいます」と語ります。

イスラエル南部で暮らす11歳の少年、ウリアは、初めて非常事態に見舞われたときのことを思い出して語ります。「突然、『ドカーン』という音が聞こえたんだ。とても怖かった。お母さんに『避難所まで走って逃げて』と言われたのだけど……ただただ泣いていたんだ。何が起こっているのかも、なんで次々と『ドカーン』という音が聞こえてくるのかも、わからなかったから」。

イスラエルとガザの人々は、家を失うリスクにも直面しています。戦闘下で家を失うのはとても恐ろしいことです。ガザの子どもたちは、自分にとって家とは、家族や愛、希望、安全、保護を意味すると語ります。生まれ育った場所であり、心のふるさとであり、何よりも、生まれてからほぼずっと占領下にあったために屋内で 暮らしてきた子どもたちの多くは、家に強い愛着を持っているのです。

紛争地域で暮らす子どもたちは、「失うかもしれない」(そしてときには「失うこともあるだろう」)と、常に危機感をもって育ちます。戦闘下では、自分の最も大切なものを失う可能性があるということを、幼い頃から理解しているのです。「いざというときは、何も持たずに、ただ走るんだ。何よりも身の安全が大切だから」とラムは語ります。

©ICRC

ガザ地区北部、ベイトハヌーンで暮らす10歳の少女、ラハフは、先日の戦闘下で寝室が爆撃にあって、破壊されたことに大きなショックを受けました。「家から逃げなければならないときのために、大切なものはカバンに入れていつも手元に置いていたの。ドローンの音が近づくたびに、そのカバンを力いっぱい握りしめていた」とラハフは語ります。

そして、「寝室の天井が落ちてきた瞬間、夢がすべて砕け散ったような気がした……。ステキな思い出がすべて失われた気がした……、大好きだったものは何もかも寝室と一緒に破壊されてしまったの」と、涙をこらえながら続けます。

家が破壊されたとき、ラハフの家族は全員、家の中に避難していました。叔母と叔父も、ラハフの家の方が安全だと考えて、避難してきていました。しかし、家から逃げ出す中、一家は離ればなれになりました。ラハフは、母親が自分とは別の方向に逃げて行くのを目にしました。爆撃を受けた家を飛び出した子どもたちの叫び声が、いまも耳に響いています。ある日突然、家族の誰かを失ったり、家族も家も失って一人になるかもしれないという考えがよぎって、今でも身がすくむことがあります。

このようにパニックに襲われ、怒りや悲しみ、孤独、恐怖などの感情にさいなまれながらも、子どもたちは、宇宙飛行士や歯科医、サッカー選手、弁護士、芸術家、プロの水泳選手になることを夢見ています。ガザの子どもたちは、ある日目が覚めたら移動制限がすべて解除されていることを夢見ています。自由に移動したり、世界を旅したりしたいと願っているのです。一方、国境の反対側で暮らすイスラエルの子どもたちは、戦争のない、平和な暮らしを願っています。

世界中の子どもたちと同じように、ガザやイスラエルの子どもたちも本を読んだり、絵を描いたり、演技をしたり、スポーツをしたり、家族や友達と出かけたりするのが好きです。どんなに恐怖に見舞われても、より良い未来を願い、夢見ています。

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