地雷:戦争の負の遺産
赤十字国際委員会(ICRC)は、地雷やクラスター弾、爆発性戦争残存物(Explosive Remnants of War : ERW)によって犠牲になった人々を記録に残すため、ボスニア・ヘルツェゴビナ、イラク、ラオス、モザンビーク、ニカラグアの5カ国に、5人の写真家を派遣しました。

モザンビーク、チウイホ地区 リキナ・ジモ・カリシュ(65歳)は、1984年に対人地雷によって夫を亡くし、その3年後に同じく対人地雷によって自分の右足を膝下から失いました。貧しさのあまり、彼女の11人の子供のうち9人は病気や感染症で亡くなりました ©Brent Stirton/Getty Images/ICRC

モザンビーク、チウイホ地区 ボナファシオ・ムアジア(57歳)は、内戦が続いていた1985年に対人地雷によって左足を失いました。しかし、驚異的なバランス感覚で、今もなお農業に専念しています。クワを持つ妻と共に、毎日、片道45分かけて自分の農場に歩いて行きます©/Brent Stirton/Getty Images/ICRC

モザンビーク、ゴンドラ地区 するどい嗅覚をもつアフリカン袋ネズミは、対人地雷をかぎ分けるようタンザニアに本拠を置く社会企業のAPOPOに訓練されています。そこで発見された対人地雷は、地雷除去隊が爆破処理を行います。ネズミを使用することで地雷除去が劇的な速さで進んでいます©/Brent Stirton/Getty Images/ICRC

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ズノブニカ (左から順に)ミリツァ・スマジュロビク(12歳)、 デニス・メルザノビク(12歳)、 アレン・カノコビク(14歳)、ジャスミン・シドラン(12歳)の4人は、2013年11月にデニスのいとこであるミルザ・メルザノビク(10歳)と遊んでいた時に、川でかばん一杯の兵器を見つけました。ミルザは、ライフル手榴弾の安全装置を解除し、壁に投げつけました。その際の爆発により彼は死亡。残る4人の少年も負傷しました。爆発性戦争残存物は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのような紛争が終結した地域でも今もなお存在しています©Veronique de Viguerie/Getty Images/ICRC

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ズノブニカ サビーハ・ハジャリック(45歳)と娘のメリマ(10歳)が、兄エルダーの墓の側で涙を流しています。メリマーとエルダーが2013年11月のある日、川岸で一緒に遊んでいたところ、エルダーが手榴弾を見つけました。彼がそれを掴んだ瞬間に爆破し、そのまま命を落としました。一緒にいたメリマも負傷。ズノブニカの町は、昔の兵営に近く、このような事故が後を絶ちません©Veronique de Viguerie/Getty Images/ICRC

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ズノブニカ この写真に写る2つの兵器は、125㎜の高爆発性破片弾と122㎜の砲弾で、爆発性戦争残存物としては一般的なものです。銃弾の銅帯は金属収集者の手で取り去られています©Veronique de Viguerie/Getty Images/ICRC

イラク、ナジャフ 2006年1月、写真に写っているサジャード・ファレーが4歳の時、3人の兄弟と不発のクラスター弾を見つけ、遊んでいました。その時に爆発し、2人の兄が命を落とし、弟のお腹は切り裂かれました。そしてサジャードは、両足を失うことに。これは、彼がICRCの身体リハビリテーション・センターで、自分の診察を待っている時に写したものです©Marco Di Lauro/Getty Images/ICRC

イラク、エルビル マセリエ・サハー(13歳、左)と姉のサエダ(16歳)は二人とも対人地雷により左足を失いました。後ろに座っている母親のサポートを受け、姉妹はエルビルにあるICRCの身体リハビリテーション・センターで、新しい義足を装着して歩行訓練を受けています©Marco Di Lauro/Getty Images/ICRC

イラク、マウィリアン イラク北部ジマリ・シェキの地雷原で地雷除去作業を行う、イラク・クルド人自治区地雷処理センターのイラク人職員。1984年、6万8000㎡のこの地域に地雷が巻かれました©Marco Di Lauro/Getty Images/ICRC

ラオス、サラワン地区 オーンラー(61歳)は、1981年、農作業中に拾った不発弾により視力と左手を失いました©Paula Bronstein/Getty Images/ICRC

ラオス、パクサン地区 自転車で自宅に持ち帰ろうとしていた不発弾が爆発し、命を落とした3人の少年の一人であるソマック・トー(12歳)の写真を持つメック(9歳)。1963年から1972年のベトナム戦争の間、2億7000万個以上のクラスター弾がラオスに落とされました©Paula Bronstein/Getty Images/ICRC

ラオス、サラバン地区、 地雷の除去作業を始める前に、作業方法について説明するノルウェーの人道支援団体(Norwegian Poeple’s Aid )のリーダー。クラスター弾に関する条約は2008年に採択され、ラオスを含む世界半数以上の国が批准しています©Paula Bronstein/Getty Images/ICRC

ニカラグア、モソンテ エミリオ・ホセ・ゴメス・フロリアノ(42歳)は、1991年に牛番をしているときに対人地雷を踏みつけ、右足を失いました。現在彼は、自営業でセラミックを作っています©Sebastian Liste/Getty Images/ICRC

ニカラグア、マナグア ベニート・リバス・ビジャロボス(49歳)は、1989年、農作業中に対人地雷を踏みつけ、左足を失いました。現在彼は妻と5人の子供と共にソモティージョに住み、農業を続けています。5年間同じ義足をつけているので、新しいものに変えるために、マナグアのアルド・チャバリア・リハビリテーション病院にやって来ました©Sebastian Liste/Getty Images/ICRC

ニカラグア、マナグア カルロス・ホセ・ピカド(52歳)は、1981年から1990年に続いたニカラグア内戦に参加し、対人地雷を踏みつけ右足を失いました。現在、マナグア郊外に妻と娘と住んでおり、病院の警備員をして生計を立てています©Sebastian Liste/Getty Images/ICRC