エブロス川での悲劇:ギリシャへの危険な道のり

ギリシャ
2017.08.31

バシールは、自分なら泳ぎきれると思っていました。彼は18歳。健康で、泳ぎ方も知っています。しかし、多くの人がエブロス川で命を落としているのも事実です。

 

迷いながらも川を渡ることに成功した母親と息子は、濡れた身体は冷え、疲弊したところで川岸に横たわりました。そのまま2人は低体温症で亡くなりました。別の家族は、線路に沿って歩いていた時に娘が電車にひかれたため、川の近くに娘を埋葬しました。娘はまだ4歳。

 

暴力から逃れ、よりよい経済的機会を求める移民にとって、エブロス川は重要な道しるべです。エブロス川はブルガリアのバルカン山脈に発し、トルコとギリシャの国境を150キロメートル流れてエーゲ海へと注ぎます。

エブロス川 ©Stylianos Papardelas/ICRC

エブロス川 ©Stylianos Papardelas/ICRC

 

子どもたちや祖父母を連れた家族は、この水脈を通ってギリシャ、つまり欧州に入ります。中には、密輸業者が調達した壊れそうなボートを使う人もいます。または、バシールのように泳いで渡ろうとする人もいます。

 

しかし、道しるべでもあり玄関口ともなるエブロス川は、水中墓場にもなりえるのです。多くの移民がここで命を落とし、何百人もの身元がいまだ明らかになっていません。国際赤十字・赤新月運動は、亡くなられた方の尊厳を取り戻し、嘆き悲しむ家族の気持ちに応えようと、法医学の検視能力向上に力を入れています。

 

エブロス川の冷たい水に飛び込んでから1カ月後、バシールの遺体は発見されました。彼とともに見つかった唯一の書類はテレフォンカードと判読できないパスポートでした。関係当局は、その少年の身元を特定できませんでした。

 

「葬られたり、消息不明になった移民の数は、ギリシャではエブロス川が一番多いです」と、アレクサンドルーポリ総合病院の法医病理学者で、犠牲となった移民の検視を取り扱ってきたパブロス・パブリディス医師は語ります。

 

アレクサンドルーポリ総合病院のパブロス・パブリディス医師 ©Stylianos Papardelas/ICRC

 

水位が高い時に川を渡ろうとする人たちは、速い流れから逃れられないと、パブリディス医師は言います。川の水位が下がった時に発見するのは、そうした人たちの遺体です。

 

川を渡ろうとする人数の統計は乏しく、途中で力尽き果てて命を落とした人に関する情報は、より一層ありません。国連によれば、トルコから海を渡ってギリシャ諸島に入国する人数を制限することを欧州連合とトルコが合意した以降、川を渡る手段が意図せずとして注目を集めるようになって、現在では約6500人の移民がエブロス川を渡るのを待っていると言われています。

手袋など消息不明となった個人の所有物と思われるものが見つかることが多い ©Stylianos Papardelas/ICRC

 

エブロス川を渡ることは海を渡るより安全ですが、川にも隠された危険があります。

 

川の近くに住むギリシャの家族は、移民が横断していくのをよく見ると言います。この地区の農家のコミュニティーは、助けを必要としている人に門戸を開いて食料や水を提供しています。命の恩人になることもあるのです。

 

凍りつくような寒い冬のある日、ボートで川を下っていた農家のグループが、びしょ濡れで凍えきった若いパキスタン人の男性を発見しました。「彼はすぶ濡れでした。震えていて、話すことすらできませんでした」と川の近くに住む43歳のタソス・サリキリアキスは言います。

 

農夫の1人が、そのパキスタン人に上着をあげ、別の1人がズボンを、もう1人が靴下をあげました。そして男性の体温をあげるため、車に乗せました。意識がもうろうとしているパキスタン人は、1本のたばこを求めました。

 

「その彼は、私たちに感謝し続けました。衣服をもらったお礼にと、私たちを抱きしめたのです」とサリキリアキスは続けます。「彼に新品の衣服をプレゼントし、『これで結婚の準備は整ったね』と冗談を言ったものです」とギリシャでの言い習わしを交えて語ります。

 

住民たちが立ち去ろうとしたとき、パキスタン人は片言の英語で、川にはもっと多くの人がいると言いました。そこで農夫たちは国境警備員を呼び、火を灯し、冷え切って怯えた移民たちに乾いた暖かい衣服を手渡しました。

 

夏に川を渡る移民たちの死因の多くが溺死です。他方、冬は低体温症です、パブリディス医師は説明します。

 

「川を渡り陸地にたどり着いたとき、人々は、一番過酷な部分を乗り越えたことで安全だと考えます。多くの場合、使用されなくなった農家の倉庫などに避難場所を見つけ、一夜を過ごそうと濡れた衣服のまま眠りにつきます。そして二度と目を覚まさないのです」とパブリディス。

 

それはまさに、遺体安置所で助手を務めるポッピ・ラザリディスにとっても鳥肌が立つ事です。子どもを連れた家族が冬にエブロス川を渡りました。手足に凍傷を起こした母親はもはや歩くことができず、父親は妻と子どもを残して助けを求めに行きました。

遺体安置所で助手を務めるポッピ・ラザリディス ©Stylianos Papardelas/ICRC

しかし彼が戻ると、妻子がいません。2人の居場所を見つけたときには、どちらも息をひきとっていました。これはラザリディスの業務経験の中で、最悪の出来事でした。

 

「寒い夜に屋外で、亡くなった母親の隣に座っている子ども以上に辛いことはありません」と彼女は言います。「この後3日間、私は泣き続けました。子どもより長くせめて母親が生きていてくれたならば、と神に祈りました。」

 

身元が特定されていない、その地域で見つかった遺体は、河川の横断場所に最も近い主要都市のアレクサンドルーポリ総合病院で検視されます。DNAサンプルが採取され、国のデータベースに保管されます。

 

川を泳いで渡ろうとした18歳のバシールの遺体は、パブリディスが検視したうちの一人です。DNAサンプルを採取し、バシールの家族が彼を探すとき用にID番号をつけました。

 

3カ月後、ギリシャ赤十字社の追跡調査担当部署に、息子を探してほしいという男性が現れました。赤十字国際委員会(ICRC)の支援のもと、ギリシャ当局はDNAサンプルを採取。それがバシールのものと一致しました。

 

行方不明になっている家族の死を確認することは、痛ましいことです、とICRCの法医学専門家であるジャン・ビッカーは言います。「しかし、少なくとも家族は一つの苦しみに終止符を打つことができ、息子の死を悼む場を持つことができます。これは心の快復に向けた長い道のりの第一歩です。」

 

すべての案件にこうした終止符がつけられるわけではありません。2000年から2017年にかけて352人ばかりの遺体がこの地域で発見されましたが、まだ105人の身元しか判明していません。移民は書類を持っていなかったり、同行していたグル―プと離ればなれになったりということも多く、彼らについての情報を集めることが難しいのです。遺体の腐敗は身元の特定をさらに複雑化させます。

法医学チームにとっては、消息不明となった人の個人所有物を集めることも大切な業務の一つ ©Stylianos Papardelas/ICRC

 

身元が特定されない遺体は、アレクサンドルーポリの病院の安置室に4カ月間保管されます。その間に身元が特定されなければ、病院から65キロ北に離れたシディロという村に運ばれ、村のイスラム教法学者により埋葬されます。これは、多くの移民がイスラム教が主流な国の出身だからです。

 

ギリシャのICRC法医学チームは、亡くなった移民の身元確認だけでなく、遺体の適切な管理と尊厳ある埋葬を保障するよう、関係当局を支援しています。

 

「川を渡る最中、もしくはその直後に力尽きた人々の遺体は、長期間にわたって身元不明のままであることがあり、親族も家族に何があったのか分からない可能性があります。彼らがたどった運命は分からないままでも、人々には知る権利があるのです」とビッカーは言います。「遺体が回収されたときは、身元を特定し敬意をもって埋葬することが重要です。のちに身元と居場所が分かるようにするためにも。」

 

エブロス川近くの住民は、移住の危険をよく知っています。彼らは食料や衣服を無料で提供する傍ら、ときに、もう一段階悲しいステップとして、葬儀の手配をしなければならないことがあります。

 

シリアの首都アレッポでの暴力の恐怖から逃れた家族が、2015年11月、4人の子どもたちと川を渡ったことを、川岸の住民であるアキス・アルムパルザニスは思い出します。シリア人一家はギリシャに渡るため、密入国斡旋業者に2万ドルを支払いました。

 

11月のある日、午後10時ごろに家族が川の近くの線路を歩いていたとき、電車が近づいてきました。電車が通り過ぎる際、その家族の4歳の子どもが転んでしまい、頭をひかれてしまいました。

 

「その家族は私たちの村に走ってきました」とアルムパルザニスは振り返ります。「彼らは泣き叫び、何が起こったのかを説明しようとしていました。」

 

救急医療隊員が子どもを蘇生させようと努力しましたが、できませんでした。住民たちは葬儀費用を援助しました。シリア人一家はその後フランスに定住しましたが、子どものお墓を訪ねるため、時々、エブロスに戻ってきます。それは、愛する者の最期だけでなく、家族の永眠の地を知りたいという家族の強い希望の証と言えます。

残された個人の所有物が行方不明者の手がかりとなる ©Stylianos Papardelas/ICRC

ギリシャでは、身元が特定されない遺体の管理を行う法的枠組みを向上させる措置が取られています。ICRCは遺体管理を支援するため、冷却装置ユニットや遺体袋を提供し、パブリディス医師と彼のチームを支援するために遺伝子検査キットを寄贈しています。

 

「人々は、安全でよりよい生活を求めて戦争と貧困から逃れてきますが、多くの人が死に直面します」とICRC法医学専門家のビッカーは言います。「仕事を通じて、私たちは少なくとも、彼らが得るべき尊厳と敬意を取り戻したいと思っています。」

 

原文は、本部サイト(英語)をご覧ください。