イラク:紛争の影で

イラク
2015.02.12

2014年のはじめからイラクで続く武力紛争で、2百万人以上の人々が避難を余儀なくされています。人々が紛争から逃れ、より安全な場所へ避難しようとしたため、大規模な人口移動が起きた地域もあります。避難民に最初に支援の手を差し伸べたのは現地の人々でした。彼らは、受け取った食料や水、シェルター、その他の支援物資を避難民に届けました。私たちも、効率的かつ迅速に避難民への支援活動を展開。避難して48時間後には支援を受け取った人もいます。しかし、人口移動や流入により、地元住民以上の数の避難民を受け入れている市や町では、これまでの様相が様変わりしています。

ちょうどこの写真が撮られた1ヶ月前の6月10日午前1時、 モスルに住んでいたこの2人の男の子たちは、家族に揺さぶり起こされました。「僕たちは車に飛び乗って、バルテラまで逃げ、親戚と過ごしたんだ。そのあと、あのままモスルにいたらとても危険だったと、お父さんに聞かされたんだ」と、一人が話します。しかし、バルテラも平穏ではなく、武装組織に占拠されました。短期間に多くのことがこの男の子たちに起きましたが、彼らには笑って遊べる力があります。

ファルージャ から45キロ北西にあるハバニヤ湖には、ホテルや別荘、レストランが集まった大規模施設があり、かつてはイラクの一般家庭にとって、最も楽しい場所の1つでした。しかし現在は、ファルージャやラマディなどから来た1万3000人の避難民を収容しており、娯楽施設が避難所機能に取って代わられたのはこの10年で二度目となります。他の紛争でも見られる通り、シャヒヤ周辺で起きた戦闘で、水のくみ上げとろ過装置が破壊されました。現在、設備は再建され、避難民には清潔な飲料水が提供されています。2015年1月には、シャヒヤの避難民1万3200人に、食料と他の生活必需品を届けました。

イラク北部モスルや他の町から来た避難民のなかには、中部のバービル地域に落ち着いた人もいます。ICRCは、バービルから西に25キロほどにあるアブガラクで、6人家族の1カ月分に相当する食料と生活必需品を3600人の避難民に配付しました。「人から支援を受けるのはこれが初めてです」と家族の長が苦しい胸の内を吐露しました。

アンバル州での活動では、紛争の犠牲者へのアクセスを確保するために、様々な当事者と交渉を重ねなければならず、多くの時間が費やされました。ICRCや他の人道支援組織にとってアクセスが難しいのは、戦闘が継続している場所です。多くの場合、そのような場所は、喫緊の支援が必要とされているところでもあります。2013年12月にラマディとファルージャではじまった小競り合いは、後に3つの州にまで拡大。2015年1月、衝突が続くラマディで、避難民1500人分の食料と必需品を届けることに成功しました。

イラク北部のシンジャルから逃れてきたこの家族は、当初、照りつける太陽から身を保護するものがなく、簡易カバーでしのいでいました。その後、近くの大規模キャンプに移り、そこで凍てつく冬を向かえることになります。

イラク北部のシンジャルから逃れてきたこの家族は、当初、照りつける太陽から身を保護するものがなく、簡易カバーでしのいでいました。その後、近くの大規模キャンプに移り、そこで凍てつく冬を向かえることになります。

アル・サアダと ディヤラの町が戦闘状態に入ると、一般市民、特に女性や子ども、高齢者には、自分の命を守るために最も安全な場所に逃げる、という選択肢しか残されませんでした。この写真は、北部のカナキンで撮影されたものです。カナキンの人々は、避難民の大半を受け入れましたが、人口流入が超過し、この小さなキャンプでの生活を余儀なくされている人々もいます。