DNA、そして亡き人の尊厳:ウクライナでの活動

ウクライナ
2025.09.10
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©ICRC

ロシアとウクライナの武力紛争の激化によって、尊厳をもった遺体の取扱いを目指す法医学機関の多くが攻撃を受け、機能不全に陥りました。故人の身元特定には、DNAが鍵となります。

他者を助けられないこと−ウクライナでの戦闘が激しさを増すなか、ナタリアにとって最大の恐怖でした。

ウクライナ内務省国立科学捜査センター(SSRFC)の比較DNA鑑定部門の主任法医学専門家として、ナタリアは武力紛争の影響を受けた人びとの支援方法を見出しました。

「亡くなった方とその遺族のために私たちができることは、埋葬の機会を待つ家族のもとに遺体を返還することです」と彼女は言います。

家族が遺族の身元判明と遺体の受取りをするまでには、長く複雑な手続きがあります。その手続きにおいて、重要な役割を果たすのがナタリアのDNAを使った仕事です。

指紋のように、DNAは各人に固有のものです。そのため、DNAは身元不明の遺体特定に役に立ちます。

近親者DNAサンプルと照合することで、行方不明者のリストから、遺体の身元確認をできる可能性があります。

ナタリアとの初対面の際、彼女はガラス張りの滅菌済の研究室で、白い防護服と、青い手袋、そしてフェイスマスクを身に着けていました。彼女は小さな丸鋸を使って、骨片から組織サンプルを取り出している最中でした。

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ナタリア、SSRFCの比較DNA鑑定部門の主任法医学専門家 ©Pat Griffiths/ICRC

身元不明の遺体から組織サンプルを採取することは最初のステップに過ぎません。

このナタリアの作業によって、身元不明者全員に固有のDNAプロファイルが作成されます。「この後、親族のDNAデータベースからマッチングの作業を行います」と彼女は言います。

前線における遺体回収と移送

ウクライナ全土で、武力紛争により亡くなった兵士や民間人の遺体・身元確認をとおし、人としての尊厳を取り戻す作業が日夜行われています。

多くの場合、前線の近くが最初の舞台になります。捜索・回収チームは遺体収集のため、継続的な戦闘、前線の変化、爆発の危険など相当なリスクに直面しながら危険な作業に従事しています。

ロシアとウクライナ間の遺体移送のたびに、身元確認を必要とする遺体の数は増えており、2022年以降50件を超えます。

ウクライナ側に回収・引渡しされた遺体は、多大なプレッシャーの下で作業を行うウクライナの法医学機関に送られ、身元確認が始まります。

「ひとりでも作業はできます。しかし、チームワークやサポートがあれば、それは私たちのみならず、より大きなスケールで社会に大きな違いを生むでしょう」とルスラン・アバゾフSSRFC副所長はいいます。

アバゾフ副所長の業務は、各省庁や機関にある法医学チームや現場との連携調整に加え、赤十字国際委員会(ICRC)のような人道支援団体との連携などです。

「私たちにとって、各機関との連携をとおし法医学の能力向上が感じられますが、残された遺族にとっては家族の身元を確認する際の痛みと悲しみを通しその成果を感じることができます」とアバゾフ副所長は人道支援団体の支援について所感を述べました。

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ルスラン・アバゾフSSRFC副所長 © Pat Griffiths/ICRC

ウクライナの法医学機関が抱える仕事量は膨大です。遺体の捜索と回収、そして死者の身元特定のための法医学的な手順やDNA鑑定にも時間がかかります。そして、現在もなお、身元確認を必要とする遺体の数は増える一方です。

2025年5月現在、ICRCが把握する未解決の追跡要請の件数は、武力紛争の当事者双方で、126,000人に達します。

行方不明者のうち、戦争捕虜と確認されていない者は、依然として発見も身元確認もされない状態で命を落とした可能性があります。全員の発見と身元確認に何年もかかることが見込まれています。

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アンドレス・ロドリゲス・ゾロ ©ICRC

DNA鑑定結果の説明

アンドレス・ロドリゲス・ゾロはICRCのウクライナにおける人道分野の法医学的チームを率いています。ICRC独自の役割のひとつで、国際武力紛争において、戦闘で死亡した人びとや敵の手に落ちた人 びとの尊厳の促進を目指します。

法医学の仕事は、アンドレスにとって遺体の身元特定のみならず、故人の尊厳を守ることも含まれています。

身元特定は、アイデンティティの回復でもあります。ある意味において、故人の尊厳を回復する行為なのです。

アンドレス・ロドリゲス・ゾロ

アンドレスにとって、DNAは身元確認の過程における欠かせない要素ですが、「他の情報源と組み合わせ、遺族への適切な説明が必要です」と言います。

なぜなら、DNAは最も信頼性が高く正確な証拠である一方、その精度は2つのサンプルの一致の度合いに基づく確率論の問題だからです。

家族はこれらの結果をどのように受け止めるべきでしょうか?
98%と99%の違い、あるいは結果が100%でない場合、その結果をどのように信じることができるでしょうか。このような状況では、他の法医学的な識別方法が役に立ちます。

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SSRFCでDNA鑑定の結果を見るルスラーン・アバソフ © Pat Griffiths/ICRC

遺体から得られる情報(年齢、性別、身長、指紋、歯科所見、タトゥー)および、遺体が発見された場所と時期などの情報は、DNA鑑定の結果を裏付け、身元特定に役に立ちます。遺体と一緒に私物が残されていた場合や、IDタグが使用されていた場合は、さらに有効です。

遺族に対して、信じたくないような愛する人の死を理解できるよう説明・支援することは、結果を受け入れるための鍵です。

そのため、SSRFCは毎週遺族を対象とした複数の教育セッションやコミュニケーションセッションを実施しています。

ICRCの法医学チームは、DNA鑑定の機材、数十万個の検体採取キットおよび研修の実施、法医学インフラの構築と維持だけでなく、ロシアとウクライナ間の遺体の返還において、中立的な仲介者として立ち会い業務も行ってきました。

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ロシアとウクライナ間の遺体の移送を監視するICRCスタッフ ©ICRC

私にとって、遺体の移送活動は国際武力紛争の際にみられる真に人道的な活動で、どれだけ困難な状況におかれても、人道が存在し得ることを証明しています。

遺体の母国への移送は、DNA鑑定やその他手段をとおして故人を特定し、人びとの存在を回復する長い道のりのなかの、最初のステップです。

英語原文はこちら