力を合わせれば奇跡は起きる~手を取り合って困難を乗り越えてきたパレスチナの女性たちの物語

イスラエル・パレスチナ
2021.06.25

2020年初めにコロナ禍に見舞われて以来、世界中で多くの人々、特に女性たちが犠牲を強いられてきました。占領下に置かれているパレスチナも例外ではありません。パレスチナの女性たちは、すでに何十年にもわたって移動制限や経済的な困難に耐えてきたところ、コロナ禍でさらなる障害や困難に見舞われました。

この写真集では、そうした障害や困難に立ち向かい、互いに支え合ってきたパレスチナの女性たちに光を当てています。女性たちは、教師や羊飼い、看護師、経営者、学生、農民、タクシー運転手、パン屋である一方で、母親や姉妹、友人でもあります。そして何よりも重要なことに、お互いの一番の味方です。 ここで取り上げた女性たちの物語は、一人一人の女性が力を持っていること、さらに協力し合えばさらにずっと大きな力を発揮できることを私たちに教えてくれます。


母親に支えられ、コロナ病棟で働く看護師のアヤ・ハジャジュレさん

ヨルダン川西岸のベツレヘム市 ©Atta Jabr / ICRC

28歳のアヤ・ハジャジュレは看護師で、エルサレムのアル・マカスド病院の新型コロナウイルス感染症患者専用の病棟で働いています。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、アヤは妊娠6カ月にも関わらず、最前線で患者の命を救い続けたいと主張しました。自分だけでなく3人の子どもを含む家族の健康を危険にさらすことになるにもかかわらず、です。

ヨルダン川西岸のベツレヘム市 ©Atta Jabr / ICRC

特に夜勤の時は、母親や妹のサポートが欠かせません。

ヨルダン川西岸のベツレヘム市 ©Atta Jabr / ICRC

アヤが看護師としての職務を果たせるように、2人はアヤの子どもの面倒を見てくれます。アヤの母親は、「医療従事者がいなければ、多くの家族が苦しむことになり、大切な人が命を落とすこともあるでしょう。ですから、アヤには働き続けるようにと、いつも励ましているのです」と語ります。


羊飼いの姉妹のナイファさんとファトマさん

ヨルダン川西岸のベツレヘム市 ©Atta Jabr / ICRC

ファトマは、ベツレヘム市の南方のキサン村で暮らす、羊飼いの3人姉妹のうちの1人です。 3人の姉妹と母親は30頭あまりの家畜を飼い、生計を立てています。

ヨルダン川西岸のベツレヘム市 ©Atta Jabr / ICRC

放牧は自分たちで行います。コロナ禍により、業者が自家製の乳製品を買いに、村を訪れることはできなくなりました。獣医も村を訪れることはできません。こうした問題に立ち向かうため羊飼いの姉妹は、役割分担をすることに決めました。ファトマと90歳の母親が、市の中心部にある市場に出向いて乳製品を販売し、ナイファが家畜の世話と料理をすることにしたのです。


ヨルダン川西岸のベツレヘム市 ©Atta Jabr / ICRC

「母や姉妹の助けなしに暮らすことなんて、考えられません。こうした協力がなければ、ここでの暮らしは耐え難いものになっていたでしょう」とナイファは語ります。


親友に支えられ、仕事と学業を両立するナンシー・アル・タウィールさん

ヨルダン川西岸のラマッラ市 ©Atta Jabr / ICRC

「昼間は教育アドバイザーとしてフルタイムで働き、夜は学生をしています。5人の子どもの母親でもあります。子どもたちのうち3人は障害を抱えています」と語るのは48歳のナンシー。ナンシーは、ラマッラ市内の大学の博士課程で特殊教育を学んでいます。

ヨルダン川西岸のラマッラ市 ©Atta Jabr / ICRC

コロナ禍にも関わらず、ナンシーはフルタイムの仕事と家庭生活を両立しなければなりませんでした。ですが、ナンシーにはハマという味方がいました。ハマと彼女の娘が交代で子どもたちを見ていてくれたおかげで、その間、勉強したり夫と過ごしたりする時間を持つことができたのです。

ヨルダン川西岸のラマッラ市 ©Atta Jabr / ICRC

「ナンシーが友達で本当に良かったです。目標を持ち、忍耐強く努力し、何よりも笑顔が素晴らしい女性です。周りの人もポジティブな気持ちにしてしまう彼女を友達に持てたのは、幸運なことです」と語るハマ。


友人に支えられ、飲食業を営む、アム・アミール・マナル・ノファルさん

ヨルダン川西岸のナブルス市 ©Atta Jabr / ICRC

「コロナ禍で、収入は70%減少しました。 事業をたたんで、自宅の台所で料理を続けるしかありませんでした」と語るのは、ナブルス県の町アシラーシュ・シャマリヤで飲食業を営むアム・アミール。

ヨルダン川西岸のナブルス市 ©Atta Jabr / ICRC

アム・アミールは、このような最も困難な時期を乗り切れるよう寄り添ってくれる女性たちに出会えたことに感謝しています。特に、友人のソウマヤは、アム・アミールのケータリングサービスの宣伝を引き受け、準備や注文の取りまとめも手伝ってくれました。

ヨルダン川西岸のナブルス市 ©Atta Jabr / ICRC

「女性にとっては、経済的な自立が何よりも大切だと信じています。私自身、かつてはそうした機会を奪われていました。だからこそ、同じ街で暮らす女性たちの夢や目標の実現を手助けしているのです」と語るソウマヤ。


母親に支えられ、教師として働くメルバット・ジェムランさん

ヨルダン川西岸のナブルス市 ©Atta Jabr / ICRC

「コロナ禍で、電子機器への依存度が高まっていることには、良い面も悪い面もあります」と、ナブルス県の町、アシラーシュ・シャマリヤで教師として働くメルバットは語ります。携帯電話のおかげで、メルバットを誰よりも支えてくれる母親と連絡を取り合うことができている一方で、メルバットはオンラインの授業中に、生徒の関心を引き付けておくのに苦労しています。もちろん、教育の中断が続いていることや、ロックダウンが繰り返されていることも苦労の原因ではありますが――。

ヨルダン川西岸のナブルス市 ©Atta Jabr / ICRC

また、メルバットは4人の子どもたちと電子機器を共有せざるを得なく、コロナ禍で教師の仕事と子どもたちの教育ニーズを両立することは、ほとんど不可能な状況です。

ヨルダン川西岸のナブルス市 ©Atta Jabr / ICRC

「母がビデオ通話で心理面でのサポートをしてくれなければ、生徒や子どもたちに寄り添うことはできなかったでしょう」と語るメルバット。


パン屋を経営するルバ・アブ・アイシュさん

ガザ地区のガザ市 ©Abed Zakkout / ICRC

「最初の頃は、パン屋として働いていることを、コミュニティーの人たちから批判されました。ガザで女性がそうした仕事をするのは珍しかったからです。ですが、その後、受け入れてくれる人は増え、そうした周りの人々に勇気づけられました」とガザ市でパン屋を経営する48歳のルバは語ります。

ガザ地区のガザ市 ©Abed Zakkout / ICRC

ルバにとって、コロナ禍での生活は特に苦しいものでした。ガザ地区では、失業者が急増していたのです。ルバは家族を養うために、自分でパン屋の経営を始め、今では男性従業員を取り仕切っています。

ガザ地区のガザ市 ©Abed Zakkout / ICRC

ルバは同じ地域で暮らす女性たちに、自分のパン屋で働かないかと声をかけています。 「私は長い間失業に苦しんでいました。 以前の私のような女性たちのために、仕事の機会を作ってあげたいのです。励ましやサポートがあれば、女性は奇跡を起こすことができるのです」とルバは語ります。


タクシー運転手のナエラ・アブ・ジバさん

ガザ地区のガザ市 ©Abed Zakkout / ICRC

「コロナ禍では、感染拡大防止の一環として、公共交通機関の運行が停止となりました。そのため、ガザで暮らす人々、特に女性は、移動することが困難になりました。そこで、そうした人々を助けたいと思い、自家用車を利用して、タクシーサービスを始めました」と語るのは、女性と子ども専用タクシーの運転手として働く、39歳のナエラ。

ガザ地区のガザ市 ©Abed Zakkout / ICRC

ナエラは、ガザでタクシー運転手になった最初の女性です。 彼女は自宅をオフィスとしてタクシー事業を行い、他の女性たちにもこの事業への参入を勧めています。

ガザ地区のガザ市 ©Abed Zakkout / ICRC

ガザでは、特にコロナ禍において失業率が高かったことから、ナエラは他の女性たちにも同じ仕事の機会を提供しようと、応募を受け付け始めました。


「グリーン・ガールズ」チームのメンバーと協力し、豆栽培の事業を経営するアシール・ナジャーさん

ガザ地区のカーンユーニス ©Abed Zakkout / ICRC

「コロナ禍で私たちの事業は危機に陥りました。ロックダウンと移動制限により、製品を販売することが難しくなったのです」と、カーンユーニスで豆栽培の事業を行う「グリーンガールズ」のメンバーの一人であるアシール・ナジャーは語ります。アシールと、ともに働くガイダとナディーンは、事業を立ち上げたばかりの頃にコロナ禍が始まったため、事業を続けるためには創造力を働かせなければなりませんでした。

ガザ地区のカーンユーニス ©Abed Zakkout / ICRC

そこで3人は、ウェブサイトを作成し、自社のグリーン製品に関心をもってくれる人に配達サービスを提供することにしました。

ガザ地区のカーンユーニス ©Abed Zakkout / ICRC

「三人とも学歴は異なりますが、この事業を通じて自分自身を発見した点は同じです。これからもずっとお互い助け合って行くつもりです」と語るアシール。