シリアの人々が語るこの10年
ダマスカス郊外のアルワフィディーン・キャンプで暮らすアミナは、一年前に夫が亡くなって以来「オートバイの修理工」として生計を立て、3人の子どもを女手一つで育てています。
「この10年を一言で言い表すとしたら『疲れ切った』です。もう二度と同じ経験をしたくありません」
「たいていの人が、理不尽極まりない人生を送っています」
「生活費が高く、日用品も手に入らないことに誰もがうんざりし、焦りを感じています」
「子どもたちは、私たちほど幸せな幼少時代を過ごすことができませんでした。 人々が殺し合い、ミサイルが飛び交う戦火の中で育ってきたのです。流血にまみれた戦場の風景ではなく、ミサイルの音がトラウマになっているようで、子どもたちの記憶にはその爆音が深く刻み込まれています」
シリアでは、女性がオートバイの修理工として働くことは稀です。
「生活のためとはいえ、私のこの職業が理由で子どもたちがいじめにあい、娘は結婚相手を見つけるのに苦労しました。でも、最後には子どもたちも、『オートバイ修理工のアミナ』としての私を受け入れてくれました」
「私は同じような仕事に就こうと考えている女性を応援します。何も恥ずかしいことはありません。私は自分の仕事に誇りを持っていますし、引け目を感じる必要は全くないのです。この仕事が大好きだし、今後もビジネスを拡大して行きたいと思っています」
「今後2、3年は、家にいて子どもたちのためにすべての時間を捧げたいと思っています。是非勉強を続けていってもらいたいので、これからも全力でサポートして行くつもりです」
画家のラミは、首都ダマスカスに次ぐシリア第二の都市アレッポに暮らしています。彼はかつて、しっかりとした人生設計を立てていました。勉強して一生懸命働き、成功を収め、自己を確立する、と。そして、それらは問題なくクリアできると思っていました。10年前に自国がカオスへの一歩を踏み出すまでは———
「今は、誰もが目の前の現実を受け入れるほかありません。国がここまで危機的状況に追い込まれたら、以前のように夢を描くなんて無理です」
「10年前にあったものは何もかも消え失せました。築き上げてきたものすべてが崩れ去りました。あきらめてばかりの日々でした。文化的な交流の場も奪われました。こうした過酷な状況下で、生活を立て直すのは容易なことではありません。みんなの心から愛や希望が消えていきました」
いつまた会えるのか、いつ故郷に戻って来られるのか…何一つわからないまま、ラミは家族に別れを告げなければなりませんでした。それは、ラミにとってとてつもなく悲しい体験でした。
追い打ちをかけるように、親友の死も経験しました。その友人はある日突然消息を断ち、何カ月も連絡が取れない中で、ラミは「いつか戻ってくるかも」といちるの望みを抱いていました。しかし、一年後、彼の元に届いたのは訃報でした。「同じ親友を二度奪われた気分でした」
「ここでは電気を引くのも、飲み水を調達するのも困難です。今は冬ですが、暖房もなく、寒さに震える毎日です。すべてを失い、私たちに残されたのは惨めな日常です」
「そんな中で、一番厄介なのが心に負った傷です。たくさんの辛い経験が心に蓄積され、何度追い払おうとしても無理でした。私は今後も、心の傷と一生向き合うことになるでしょう」
「世界中の人たちに、本当のシリアの姿を知ってもらいたい。この国は、文明や歴史、芸術の発祥の地です。ここには、生身の人間が暮らしいます。SNSを通して、戦争や破壊、援助が必要な人たちがシリアの象徴として捉えられるのは本意ではありません」
「私は好きなことを仕事にしています。勉強してきたことを仕事に繋げることができました。だからといって、このままシリアに留まる理由にはなりません。もっと勉強を続けたいので、機会を見つけてゆくゆくはこの国を出るつもりです。5年後の私は、もうここにはいないでしょう」
かつてイマンはシリアで暮らしていました。必要なモノはすべて手に入り、仕事も人生も満喫していました。
「私は普通の暮らしを送る、中東によくいるタイプの女性でした」
イマンは中部の都市ホムスで暮らしていた当時、テレビで中東各地で起きている暴力沙汰についてのニュースを見ながら「シリアで同じことが起きたらどうなるかな」と父親に聞いたと言います。父の答えは「何もかも変わるだろうね」。
イマンはシリアを離れたくなかったのですが、父は娘にどこか別の場所でもっと良い人生を送ってほしいと願っていました。
「今でも爆弾のにおいを覚えています」
シリアにいた頃、イマンは深刻なトラウマを抱える子どもたちのために働いていました。幼い子どもたちが苦しんでいるのを見て、「この国の未来はどうなるんだろう」と思いを巡らせました。
「ここまできたら問題は一人の人生にとどまらず、この時代に生きる全員の人生に降りかかってくる」イマンはそれまで政治学を専攻していましたが、もはやシリアで勉学を続けることは不可能でした。
彼女はその後、シリアからレバノンに逃れ、最終的にスペインに移り住み、そこで奨学金を得ました。
現在はバルセロナで暮らし、外交を学んでいます。「紛争下に置かれている人々を助けるために、学んだことを活かしたい」と考えています。
教育が変化への道を開く
イマンは、みんなが今よりもっと良い暮らしを送れるよう力になりたい、という思いに駆り立てられています。そして「夢は尽きない」と語ります。「シリアで教育に携わりたいの」。
「変化をもたらすには、教育が最大の武器になると信じています。シリアの教育の発展に力を注ぐことで、私はたくさんの変化をもたらせると思うんです」