グルジア:息子を埋葬するという母の願いが叶う

ジョージア
2013.08.10

この20年間、Mzevinar Popkhadzeは息子のGiorgiが1992年から1993年のグルジア紛争で命を落としたことを知っていて、彼女のたった一つの願いは息子のために墓を建てることでした。そして、今年やっと彼女の願いが叶ったのです。グルジア / アブハジアの協力と赤十字国際委員会(ICRC)の支援により、Giorgiはやっと家に戻ることが出来たのです。

1992年、工学部の学生だったGiorgi Popkhadzeは23歳でしたが、自宅のある町で紛争が勃発しました。この紛争から家族や町を守るため、彼は他の青年たちと同様、地元に残る決意をしますが、状況がどんどん悪化する中、1993年8月、彼は母親と妹に町を離れるよう伝え、150km南にある黒海沿いのPotiに避難させました。

「娘と私は、いつか息子が避難してくることを願いながら、毎日港に行きました。しかし時が経ち、私の息子に関する情報は何も出て来ませんでした。ある日、地元で近所に住んでいた人を港で見かけたのですが、彼女は私をきつく抱きしめ、「Mzevinar! お気の毒に」と涙を浮かべて言いました。私はその瞬間、自分の大切な息子のGiorgiはもう生きていないのだと悟りました。彼は紛争の最後の日、自宅からさほど遠くない場所で殺されました」

20年近くの間、Mzebinarは息子の墓参りをしようと試みました。近所の人々が無残に殺害された青年たちをそれぞれの庭に埋めたと聞いたからです。「息子を取り戻す」終わりのない試みと期待と希望の日々は、20年という落胆の日々に変わりました。

「息子の墓をこの場所に建て、彼の死を悼むことが私の最大の願いでした」とMzevinarは語り「自分のたった一つの願いが我が息子の墓を建てることだなんて、想像できますか?」と続けます。

そして、ある取り組みが彼女に希望をもたらすこととなりました。

「1992年から1993年あるいはそれ以降の武力紛争による行方不明者を探す相互調整メカニズム」が2010年にICRCの支援で立ち上がり、アブハジアとグルジアが協力することになったのです。最初の人骨発掘と身元確認が紛争から20年を経て実施され、Giorgiの身元も判明しました。ICRCは手続きや検問所での検査を簡素化するなどGiorgiが家族の元に戻る手配を支援し、家族は遂に自分たちの宗教や習慣に沿った方法で息子を埋葬することが出来ました。

葬式には多くの人々が列席し、その中にはGiorgiに会ったことのない新しい近所の人々もいました。地元の司祭が特別な礼拝を行い、Giorgiは家族の墓地に埋葬されたのです。

「20年以上も息子と離れていた母親にとって、息子とまたこのように一緒になれたことをとても幸せに思います。そして実現してくれたICRCに大変感謝しています。いま、私は息子の墓を建て、毎日会いに行けるのです」
詳細な記事はICRCジュネーブ本部(英語)で確認できます。