ナイジェリアで次世代の戦傷外科医を育てる
ナイジェリアでの紛争は、西アフリカ地域で最も長く続いている紛争の一つです。現地のICRC外科チームには日本人外科医の安藤恒平医師も加わり、戦闘に巻き込まれた民間人を救うため、外科的処置に加えて、次世代の育成も行っています。
“今日が君の人生最後の日だ”
ナイジェリア北東部の自宅近くで友人と薪集めに出かけていたフセイニ・ジブリンさん。両足を撃たれ、負傷したのはこの言葉を聞いた直後のことでした。
ナイジェリアを含む、西アフリカとチャド湖周辺の国々は、イスラム国系の過激派組織やボコ・ハラムとの対立により、10年以上にわたって紛争状態にあります。
「友人が僕の足に包帯を巻いて止血してくれて、カートに乗せて林から町なかにある病院まで運んでくれました」とフセイニさんは当時を振り返ります。
重症であったため専門的な治療が必要なことから、翌日に北東部ボルノ州の州都マイドゥグリにある州立専門医病院に移送され、戦傷外科病棟に入院。足から銃弾を取り除くための治療が始まりました。「病院に来て4週間経ちましたが、スタッフの皆さんがとても親切です」。
病院で体を休め、規則正しい食事を摂っていること、そして何より母親の献身的な看病によって順調に回復していきました。
完治したら、薬草師の仕事や農業を再開したいです。
フセイニ・ジブリンさん
フセイニさんのように、民間人にもかかわらず戦闘により負傷する人はたくさんいます。紛争下で民間人が標的になることはあってはならないにもかかわらず、です。
長く続く紛争が人びとへ与える影響は、数字でも見て取れます。ナイジェリア全土では、少なくとも800万人が人道支援を必要としていて、200万人以上が避難を余儀なくされています。離散家族の追跡調査や再会支援を行っている赤十字運動に登録されている行方不明者数は、アフリカ地域で最多の2万3,000人です。数百万人が食料難に直面し、数十万もの子どもが栄養失調に陥っています。
アフリカ最大の経済大国で、広大な土地を持つ民主国家で、こうした事態が起きているのです。10年ほど前に集団拉致された「 チボクの少女たち」の記憶が世界的に薄れていくにつれて、この土地での紛争は次第に世界から見過ごされていきました。
そのナイジェリアで今、かつてないほど戦傷外科医を必要としているにもかかわらず、人手が足りません。
この病院にやってくる患者の多くは、戦争による傷以外に目に見えない傷も負っています。同病棟でICRCの看護師長として働くクララ・オカフォは、「患者さんの中には、ケガをする前から体が弱っている人も多くいる」と言います。「そして、ケガをしたことでますます弱っていくんです」。
10年以上にわたる紛争が、この地域の住民を苦しめています。栄養失調や心の状態の不調、危険な環境など複数の要因が重なると、銃創や破片創からの回復は困難を極めます。
体のいたるところに目を配り、複合領域的なアプローチをおこないます。
看護師長クララ・オカフォ
次世代の現地スタッフにバトンを託す
戦傷外科病棟に赤十字のバッジを付けた医療従事者がいるのは、もはや日常の光景。しかし、今後は少し違った風景が見られるかもしれません。
一世紀半以上紛争地域で活動してきたICRCは、避難民や民間人の犠牲者数がピークに達した2015年以来、武器や兵器によって負傷したナイジェリアの人びとをサポートしてきました。
それから8年が経ち、実施した手術の数は1万9,000件以上、入院案件は4,000件近くに上っています。現在、戦傷外科病棟の運営を病院側に再譲渡するための手続きをおこなっています。
スタッフの育成もその一環です。看護師長のオカフォをはじめとしたICRCスタッフが、病院で働くナイジェリア人の看護師や麻酔科医、外科医を指導し、数週間の交代制で戦傷外科病棟で働けるよう力を尽くしています。この8年間で研修を受けた看護師は数百人に上り、2023年からは外科医と麻酔科医、併せて16人が研修に参加しました。
「今回の役割はこれまでの派遣任務とは異なっていました。きちんと結果を評価して、改善点を探る。これが今回のチームのテーマだったんです」と、ナイジェリアでの3カ月のミッションを終えて日本に戻った外科医の安藤恒平が振り返ります。
「患者の予後に影響するであろうと考える場合にのみ直接サポートするか、私が手術をする。そうでなければ、口頭指示など、間接的なサポートに徹する。外科医としてなかなかフラストレーションが伴うこの状況をいかに前向きに進めていくかが課題でした」。
そこで安藤は、普段やっている仕事がいつの間にかデータ収集のために役立っている、と思わせる仕組みを作ることに専念。誰がみてもわかるようにデータの標準化にも取り組みました。
「(看護師長の)クララをはじめ、スタッフは積極的にその取り組みに参加してくれました」。隔週でおこなわれた会議では全員でデータと向き合い、課題を明らかにして、その改善のために何ができるのかをまずやってみた、と言います。
日本などで行われている方法なども提案しました。使えるものはなんでも使おうと、マーケットで山羊の腸を仕入れ、腸管吻合のトレーニングもやりました。本を読むだけでは手術の合併症対策とはならないので、手を動かし、対象物の性質を実感して、知る。手先の感覚、術野のさまざまなところに気を配る用心深さを磨く。みんな研修を楽しんでくれて、一度始まるとなかなか終わらないんです。
安藤恒平
牛の部位(修復には腱、縫合には腸、超音波の検査には牛肉の分厚い塊など)を代用して、日々技術の習得に励んだ現地スタッフ。今では毎月、8人のナイジェリア人外科医が交代制で戦傷外科病棟に勤務し、麻酔科医6人が2週間毎の交代で勤務しています。
研修に参加したナイジェリア人医師の一人、ヒエラジラ・アフマドゥさんのコメントです。「もともと病院にいたスタッフに戦傷外科を学ばせるという方針が良いと思います。ICRCからは、手取り足取りいろいろなことを教わりました。次第にICRCを補助する形で現場に入るようになり、今では自分たちだけでできるようになりました」。
彼女は特に、皮膚移植に関して非常に習得が早く、その腕前は同僚たちがこぞって依頼に来るほどまで成長したといいます。
「研修後は、片付けも全員でおこない、次は自分たちで研修を実施できるように、というのが目標でした」と自身の貢献について語る安藤は、その成果も実感しています。「現地には多くのものが残せたと思っているし、私も次のステップへ向けて多くのことを学びました。次世代の戦傷外科医を育成する育成者が育成されている。そうやって世界はどこまでもつながっていくのだろうと思います」。
2024年から徐々に、戦傷外科病棟の運営を州立専門医病院のナイジェリア人スタッフに委ねていきながら、ICRCは引き続き物資面で同病棟を支援していく予定です。