スーダン:長期化する紛争の中、日常生活が救いとなる

スーダン
2024.05.23

紛争が長期化するスーダンでは、少女が砂地にしゃがみ、草の茎を編んで小屋をつくっています。その小屋は、木の枝葉を用いて組み立てられ、防水シートやビニール袋で覆われた即席の小屋です。辺りは同じ様な小屋で溢れかえっています。

もともと12,000人が住むチャドの国境付近の町アドレには現在、10万人を超えるスーダンからの避難民が生活を送っています。そのうち90%の人びとは、スーダンから徒歩で越境した女性と子どもたちです。ほとんどの避難民は、2023年4月15日に勃発したスーダンでの紛争によって、暴力が横行するダルフールから逃れてきました。

カルトゥマは、小柄で白内障を患った女性です。3歳と 5歳の2人の孫娘と同居するため、自ら小屋を作りました。ほかの2人の孫娘たちは母親に連れられて、仕事を求めて町を出ていきました。

カルトゥマは毎朝アドレの住宅街に行き、住民から食べ物を支援してもらい、なんとか孫娘を養っています。

アドレの住民は避難民を歓迎しています。しかし、世界で最も貧しい国のひとつであるチャドは、資源が乏しいという現状を抱えていることも事実です。東部地域を視察したICRC総裁ミリアナ・スポリアリッチは、身ひとつでアドレに避難した人数がアドレの人口の10倍以上に膨れ上がっている状況および人道支援団体が直面する深刻な資金不足にに警鐘を鳴らしました。

避難民の急増にともない、食料価格は高騰し、水や医療といった必要不可欠なサービスはひっ迫しています。

カルトゥマは幼い孫娘と暮らしており、近隣の人びとや地元の人びとから寄せられる食料で生活しています。 ©Alyona Synenko/ICRC

乾燥地域では水が最も貴重な資源ですが、 人口の急激な増加によりさらに水へのアクセスに負荷がかかっています。 ©Alyona Synenko/ICRC

身ひとつで避難し、暑さや雨を十分にしのぐことができない避難所で生活することを余儀なくされています。 ©Alyona Synenko/ICRC

4月15日にスーダン紛争が勃発して以来、推定50万人のスーダン避難民がチャド東部に避難しました。その内、約20万人がアドレおよびその周辺に住んでいます。 ©Alyona Synenko/ICRC

ソメヤは、子どもたちと共にダルフール西部にある村から避難してきました。このとき、ソメヤは妊婦でした。仕事で不在であることが多い夫に代わり、彼女の父親が孫たちを父親のように世話していました。しかし、彼女の父親は夕方の礼拝後、モスクで殺害され、ソメヤの腕の中で息を引き取ったそうです。

ソメヤと子どもたちがアドレに到着したとき、彼女は地面に倒れこみました。長時間の徒歩による疲労と恐怖で数日間体調を崩したといいます。1カ月後、ソメヤは防水シートの下で出産しました。そして、その直後から4人の子どもたちを養うために仕事を探さなければなりませんでした。

建設現場での肉体労働の負担は大きく、そして授乳もできない環境であったといいます。現在は洗濯をする仕事に就いており、赤子を連れることにも問題が無いようです。彼女は早朝に仕事へ向かい、その日の日当で食料を買います。

ヘナアーティストであるソメヤの家族は、ダルフールに戻り、充実した生活と十分な食料を得たといいます。他方で避難民キャンプの現実は異なり、ソメヤは十分な食事を摂ることができず、母乳が出なくなる事態となりました。

ソメヤが仕事をする間、子どもたちは水を汲みに行きます。人口が増加する以前から水不足が問題視されていたこの地域では、水汲みは時間を要する仕事です。朝5時には、バケツなどの容器を持った人びとの長い列ができます。ソメヤの隣人である17歳のズハルは、順番を逃さないようにバケツを列に並ばべ、数時間ごとに順番を確認しています。

ソメヤにとって、自分と家族の将来は不透明のままです。たとえ村に戻ったとしても、家は全焼しており、財産はすべて失われました。 ©Alyona Synenko/ICRC

スーダンからの避難民女性は生きながらえるために、建設現場や男性が伝統的に担ってきた仕事に就くことを余儀なくされています。©Alyona Synenko/ICRC

人口の急速な増加にともなって食料価格は高騰し、 パンやスイカなどの価格はわずか数カ月で3倍となりました。この状況は、避難民と受け入れ側コミュニティーに影響を与えています。 ©Alyona Synenko/ICRC

17 歳のズハルは、スーダンの町アルジェネイナで生まれ育ち、学生でありながら母親の農作業を手伝っていました。 ©Alyona Synenko/ICRC

ダルフールで暴力が勃発したとき、ズハルと母親のナフィサは夜間に家を追われました。途中ではぐれてしまったものの、到着したキャンプで再会できました。ナフィサは、喉を掻き切られた人びとを目撃したことが忘れられないと語ります。©Alyona Synenko/ICRC

ズハルは、東スーダンのゲダレフに住む叔父に連絡するために赤十字社の電話サービスを利用していますが、電話は繋がりません。©Alyona Synenko/ICRC

日常生活を送ることは、ときに過去の残虐な記憶や未来への不安から解放してくれます。スーダンの町アルジェネイナの故郷に戻ったズハルは、避難する以前は学校と農場の行き来をしていました。彼女は靴を履かずに避難したため、途中で人びとが殺される姿を見たと振り返ります。

ズハルは現在、スーダン東部に住む叔父と一緒に住みたいと考えていますが、連絡が取れません。

キャンプにいる女性の大半は、自身が望むものを尋ねられると肩をすくめて見せます。彼女たちの目には、あらゆる苦難よりも希望が最も残酷に映っているかのようです。

キャンプでの生活は厳しいですが、故郷に帰るところはありません。家は全焼し、持ち物をすべて失いました。たとえ戻れたとしても、人生を一からやり直さなければなりません。それはそう簡単なことではありません。

ソメヤ

2024年4月15日、パリで開催された「スーダンと近隣諸国に関する人道会議」において、ミリアナ・スポリアリッチICRC総裁は、スーダンでの人道危機について以下3項目を参加者に訴えました。

  • 民間人の生命とインフラを保護する枠組みとなる国際人道法の規則、原則、精神を遵守すること。
  • 中立、独立、公平な人道的活動を保護し、資金を提供すること。また、 人道的アクセスを妨げる障害を直ちに改善すること。
  • 中立的立場から仲介するというICRC の役割を支援すること。

スーダンとその近隣諸国では現在でも、何百万もの人びとが食料、水、医療にアクセスすることが困難となっています。人びとの苦しみを軽減するため、即時の行動が求められています。