ジョージア:愛する人の遺骨が30年ぶりに引き渡され、安堵と悲しみが押し寄せる

ジョージア
2024.03.07

©ICRC

1993年7月、当時26歳だったマイア・カパナゼの人生は、夫であるバドリ・シャリカシュヴィリが、ジョージアで起きたアブハジア紛争の最中、行方不明になったことで突如急転しました。夫が行方不明になったことは、マイアのその後30年の人生に大きな影響を与えました。

夫バドリは当時32歳で、内戦部隊の中尉でした。バドリが行方不明になったことで、マイアは幼い子どもと、間もなく生まれてくるもう一人の子どもと取り残されてしまいました。それにも関わらず、マイアは自らを奮い立たせ、子育てと傷心してしまった義母の世話を懸命におこないました。

事態が急転したのは2023年12月です。マイアと子どもたちは、行方不明だったバドリの遺骨が他22人の行方不明者の遺骨とともに確認されたという知らせを受けました。マイアと家族にとって、30年にも渡る不安な日々はようやく終わりを告げました。しかし一方で、この知らせは、これまで抑えていた心の傷を再び思い起こさせることになりました。

行方不明者の家族が経験する辛さを伝える活動に従事するマイアは、愛する人が行方不明になったときの衝撃、30年に渡る感情への対処、遺骨が確認されたという知らせを聞いたときの安堵と悲しみの入り混じった感情について、私たちに語ってくれました。

知らせを聞いたときは、全く信じられませんでした。赤十字国際委員会(ICRC)がまとめた身元確認報告書を注意深く読み、一緒に入っていた写真をじっくり観察しました。しかし、とても不安になり、目がかすみ、内容を読むことができませんでした。私が希望すれば実物の遺骨を見ることができると伝えられましたが、子どもたちに辛い思いをするなら避けたほうがいいと言われ、最初は遺骨を見ることを拒否しました。しかし翌日、私はあえて夫の遺骨を見たいと願い出ました。

マイア・カパナゼ

涙ながらに語るマイアは、更にこう付け加えました。「遺骨を見た時、それがバドリのものだと確信しました。夫のあごの形で即座にそれが彼のものだと分かったのです」。

12月7日、マイアと家族は、締め付けられる想いと同時に安堵を感じました。生きているのか死んでしまったのか分からないという曖昧なまま待っていた長い時間がようやく終わりました。夫バドリの遺骨は他の行方不明者だった人々と共に、戦没者墓苑に埋葬されました。

夫であり、父であり、祖父であったバドリは、ようやく尊厳をもって埋葬されました。夫のお墓がどこにあるのかがわかったので、これからは訪ねたいときに訪ねることができます。

マイア・カパナゼ

また、マイアは、夫が埋葬されている墓地とは別の行方不明者慰霊碑にも、引き続き訪れると言います。

ジョージアでは、未だ1,900人以上の行方不明者が登録されており、その家族は知らせを待ちわびています。

ICRCは、2010年からジョージアで、家族の再会支援事業を開始しました。現在、首都トビリシを含む5つの都市で活動し、行方不明者家族委員会の支援もおこなっています。マイアも首都トビリシの行方不明者家族委員会の活動に参加しており、今ではライフワークの一部となっているそうです。

同委員会は、行方不明者に関する問題への認識を高め、イベントや会議を開催するほか、活動に参加する仲間同士で集まり、支えあう支援も提供しています。また、行方不明となった愛する人に敬意を表すことができる場所として、慰霊碑の設立にも積極的にも関わっています。

マイアは、待ち続けた30年間について「当時は夫が生計を支えていたため、一家はほとんど国からの支援金に頼らざるを得なかった」、「子どもたちのお腹を満たすため、掃除などの臨時の仕事をすることもありました」と語りました。マイアにとって何より大切だったのは、子どもたちが教育を受け、立派に生活できるようにすることだったそうです。そして、子どもたちに尽くすことで、マイアは悲惨な期間を乗り切ったそうです。

ICRCの法医学事業に関する動画

Oran Finegan interview in Japan from ICRC on Vimeo.