5年ぶりの再会を心待ちにするソマリアの離散家族

ソマリア
2021.04.08

©ICRC

「父は私のヒーローで、私の味方でした。最後に会ったのは5年前。私が15歳の時、父は突然消息を絶ってしまったのです」とハサン・サイードさんは語ります。

ヨルダン/ソマリア/イエメン(ICRC)― ハサン・サイードは8歳の時、戦火にまみれた祖国ソマリアを家族とともに離れることになりました。2007年当時、百万に上る人々が隣国に逃れる道を選び、彼の両親も同じ決断を下しました。「両親は子どもたちに、より安全で、より良い人生を送れる環境を与えたかったんです」

数カ月後に最愛の祖国に戻ることを願いながら、一家5人が向かった先はイエメンでした。「数カ月の予定が数年になり、結局イエメンにはずいぶん長い間いました。その間に3人の子どもが産まれて家族が増えましたが、私たちの暮らし向きは日々悪化の一途をたどりました」

2012年にハサンの父親は、一家でヨルダンに移り住むことを決意しました。子どもたちの将来を思ってのことです。「確かに、私たちがより安全に暮らせる場所ではありましたが知らない土地でまた一から始めるのは決して簡単なことではありませんでした。でも何とか2年くらいは無事に過ぎていきました」。ハサンの父親は、一家の苦労が報われる場所が地球上のどこかに必ずあるはずと、常に大きな希望を抱いていました。2015年に入ってすぐ、父親は新天地を求めて、突然エジプトに行くことを決意。「その日を最後に、父の消息は完全に絶たれました」とハサンは当時を振り返ります。

母親は7人の子どもを抱えて、一人取り残されました。一家は、援助団体や近くの食料雑貨店からの支援や施しに頼るしかありませんでした。毎月約400ドル(約44,400円)を受け取りますが、その半分は家賃の支払いに消えてしまいます。「母はしっかり者で、家計をうまくやり繰りしていました」。最低限の暮らしを成り立たせるだけでなく、年少の子どもたちを学校にも通わせたのです。「母は私の支えを必要としていたので、そばで寄りそおうと決めました」。最年長のハサンは、父親の代わりを務めようとしましたが、彼こそが誰よりも父親を必要としていました。「奇跡が起きて、暮らし向きが良くなりますようにと、毎日祈っていました」。

2020年初頭、家族のもとに思いがけず嬉しい電話がかかってきました。イタリアから父親がかけてきたのです。ようやく家族を探し当て、連絡を取ってきたのです。ハサンと母親は電話が終わると赤十字国際委員会(ICRC)に連絡を取り、父親と再会するための支援を求めました。「これを機にICRCが私たちの人生の救世主となってくれました」とハサンは語ります。離散家族の再会支援事業を行っているICRCは、子どもたちが父親とイタリアで会えるよう、家族と定期的に連絡を取りながら、必要な書類を取り揃える手助けをしました。家族のための緊急渡航証明書(ETD)もICRCが発行しました。この証明書は、亡命希望者や難民、弱い立場に追い込まれた移民、国内避難民、無国籍者が、パスポートなどの公的な渡航証明書を所持していないために、出身国などかつて居住していた国に戻ることができない場合や、亡命者や難民として一時的もしくは恒久的に受け入れてくれる国に渡ることができない場合など、人道上必要な場合にのみ発行されます。当局が公的な渡航書を発行できない場合にのみ最終手段として無料で発行され、1回限り有効です。

「今年が私たちの人生の大きな転換点になりました」と語るハサン。一家は再び、夢やより良い生活を思い描くことができるようになりました。「父との再会が待ち遠しいです。ICRCのおかげで、私たちの未来が開けたんです」。そう語りながら、涙を浮かべるハサン。その目は、自身の将来をしっかりと見据えています。「まずは進学して、大学で学位を取る。その後サッカー選手になって、成功して有名になりたい。この長年の夢を叶えるために頑張ります」

「ヨーロッパの強豪チームでプレイしている自分が目に浮かぶよ」