ペルー:強さの象徴 ママ・アンジェリカ

ペルー
2016.03.04
© CC BY-NC-ND / CICR / G. Negro

© CC BY-NC-ND / CICR / G. Negro

「私の勇気の源は、息子への愛、そして私のように愛するものを

探し続ける女性たちの苦しみよ」。

「ママ・アンジェリカ」の名で知られる御年86歳のアンジェリカ・マンドーザは、1983年7月3日に行方不明となった息子のアルキメデス・アスカルサ・メンドーザを、30年以上に渡り探しています。彼女は息子が連れ去られたあの早朝の場面を今でもはっきりと思い出すことができます。それは彼女を痛めつけるほどつらい思い出です。

 

「息子が連れ去られてからというもの、捜索をやめたことはありません。彼が行きそうな場所はすべて訪ねてみました」とママ・アンジェリカは言います。「私と同じように長い年月をかけて愛する人を探してきた仲間の中で、行方の分からない家族はすでに亡くなった、という知らせを受けた人は一人もいません。年をとり、例えこの命が尽きても、愛する息子や夫、父親を忘れられるでしょうか?そんなの無理に決まっています」。

アヤクーチョ・ワマンガにて、当時19歳だった息子の写真を持つママ・アンジェリカ ©CC  BY-NC-ND / CICR / G. Negro

アヤクーチョ・ワマンガにて、当時19歳だった息子の写真を持つママ・アンジェリカ ©CC  BY-NC-ND / CICR / G. Negro

 

ペルーでは武力紛争が勃発した1980年から2000年にかけて、推定1万5000人が行方不明になったとされています。恐怖と立ち向かい、行方不明になった親族を探す役割を担ったのは女性でした。男性が調べれば、彼らが行方不明となるリスクが高かったからです。

 

ケチュア語を話す女性はスペイン語に疎く、最も苦しみました。ママ・アンジェリカは彼女たちにとって代弁者のような存在になり、愛する人を探す手助けをしています。

 

「彼女たちは地方から来ています。うわさが広まって沢山の女性が私の元を訪れ、代わりに話してくれないかと頼まれました」とママ・アンジェリカは説明します。

 

「団結していれば殺されることはない、と伝えました。

私たちは共に強く立ち向かうしかないのです」。

 

「あの時も今も、怖いと思ったことはありません」。苦しみの中で団結した女性たちは、日々様々な場所を奔走し、当局に問い合わせ、できる限り多くの人々に話しに行くのです。

 

ママ・アンジェリカは強さの象徴。息子とコミュニティへの愛が彼女の原動力となっている ©CC BY-NC-ND / CICR / G. Negro

ママ・アンジェリカは強さの象徴。息子とコミュニティへの愛が彼女の原動力となっている ©CC BY-NC-ND / CICR / G. Negro

 

息子が行方不明になって2カ月後の1983年9月2日、ママ・アンジェリカは5人の女性と共に、被誘拐・被拘束・失踪者家族の全国協会を結成しました。スペイン語の頭文字を取ってANFASEPと呼ばれるこの組織に参加する人が増えるにつれ、規模は拡大し、今では800人のメンバーを擁するまでになりました。

 

「(ANFASEPに)何度も命を救われました。当局は、私が息子を探したり、私と同じ境遇にある女性を助けることを好ましく思っていません。でも、誰も私たちを止めることなどできません」とママ・アンジェリカは続けます。「紛争中は、食べる物がなく、親を失った多くの孤児と出会いました。協会のメンバーは、この子たちに食事やおもちゃを提供し、学校へ通うことができるよう、協力して支援しています」。

 

赤十字国際委員会(ICRC)は、ANFASEPなどの草の根団体が自分たちで啓発活動が行えるよう、キャパシティ・ビルディングやコミュニケーション向上に向けた支援や助言を提供しています ©CC BY-NC-ND / CICR / G. Negro

赤十字国際委員会(ICRC)は、ANFASEPなどの草の根団体が自分たちで啓発活動が行えるよう、キャパシティ・ビルディングやコミュニケーション向上に向けた支援や助言を提供しています ©CC BY-NC-ND / CICR / G. Negro

 

「多くの教会のメンバーは、夫や息子に何が起きたのか、なぜいなくなったのか、なぜ連れ去られてしまったのか、分からないまま亡くなっていきます。私はできる限り私は彼女たちのために、政府に問いただしていくつもりです。なぜ未だに私たちは苦しまなければならないのか、と」。

 

原文は本部サイト(英語)でご覧ください。