ICRC日本人職員インタビュー 森山成基 (もりやま そんぎ) さん
Q. ICRCに入ったきっかけを教えてください
在日韓国・朝鮮人のバックグラウンドを持っていたことから、日本の苗字と韓国朝鮮の名前を持っていて、小さい頃から「何人なの?」、「どっちの国が好きなの?」とよく聞かれていました。この質問に対して若干うんざりしていた自分もいたのですが、逆にこの生まれ持った背景のおかげで、物事を中立的に客観視することができたと思います。だからこそ、出自を気にしない、多国籍・多文化な環境で働きたいという思いが強くなっていき、中立的な立場で活動するICRCで働きたいと思いました。
Q. 最近までウクライナに派遣されていたんですよね?
はい。2019年10月から2020年11月末までウクライナ東部のドネツクにいました。ドネツクでは、ウクライナ政府が管轄するエリアと管轄外のエリアを隔てる境界線付近で激しい戦闘が頻発しています。今は比較的落ち着いているものの、情勢は不安定なままで、人道ニーズが結構高いんです。私はロシア語が喋れるので、ロシア語圏のウクライナに派遣されました。ICRC職員の中では、フランス語、スペイン語、イタリア語などの西ヨーロッパ言語ができる人が多い一方で、ロシア語を含む西ヨーロッパ以外の言語になってくると話せる人が極端に少なくなってきます。だから、ウクライナのポストが空いた時に、私に白羽の矢が立ったのだと思います。
Q. ウクライナで顕著な問題は何ですか?
境界線周辺で今でも散発的に起きている戦闘行為や、脆弱な社会インフラが一番の問題だと考えています。戦闘が起こった際に多くの市民が巻き込まれ、買い物に行くにしても何かしらのリスクを取らないといけない状況になっています。また、水道設備や医療機関等を含む社会インフラが整っておらず、食料の調達や行政サービスへのアクセスにも問題が生じています。
これらの問題を解決するためには、民間人を攻撃に巻き込まないこと、そして軍事行動に出る際は民間レベルの被害を最小にとどめるよう、紛争当事者に勧告しています。また、境界線周辺に住む人々へ食料や生活必需品、衛生用品を配付するなど、人間として最低限の生活ができるように支援する必要があると思います。
Q. ドネツクは現在どのような状況ですか?
一言にドネツクと言っても、市内と郊外ではかなり状況が異なります。ドネツク市内だと境界線上に配備されている兵器の射程距離圏外に位置しているので、比較的安全な場所となっています。そのため、市内にいる限りは武力衝突が起こっていると実感することは滅多にありません。一方で、境界線に近い郊外は兵器の射程圏内に位置し、攻撃や戦闘に市民が巻き込まれやすい状況になっています。実際、ドネツク空港の近くの集落では、結構な頻度で民間人が犠牲になっています。
Q. 森山さんの現場での任務はどういったものだったのですか?
私は保護要員として働いていました。配属部署では、民間人の保護、離散家族の再会と行方不明者の追跡調査、そして収容所訪問の三つの活動を行なっています。
- 民間人の保護
- 離散家族の再会と行方不明者の追跡調査
- 収容所訪問
一般の市民が戦闘行為に巻き込まれた際に現場に行き、情報収集してICRCウクライナ代表部の同僚に情報を共有します。その同僚は、受け取った情報に基づいて攻撃を行った紛争当事者に対して勧告を行います。ここで重要になるのが、国際人道法で規定されている均衡性の原則です。これは、武力行使を行う際に、軍事的利益と比較して、民間人や民用物が過度に被害をこうむるような攻撃はしてはいけない、という原則です。この原則が違反されていないかを確かめるために、定期的に現場に行って情報収集することが大切となります。例えば、軍人はおらず市民しかいない特定の地域に対して攻撃を行なった場合、明らかに均衡性の原則が違反されている、ということでその攻撃を行った当事者に対して、収集した情報を元に、攻撃の違法性を説きます。私たちの勧告に対して相手側はたいてい否定するのですが、粘り強く勧告を行うことで、二度と民間人が巻き込まれることがないよう活動しています。攻撃の停止については、双方の紛争当事者による交渉や合意を通して行われているため、政治的な要素が強い問題です。ICRCは政治的に中立で、当事者間の交渉には関わらないため、話し合いの具体的な進捗状況は私たちにはわかりません。
行方不明になった親族や境界線の封鎖により会えなくなった親族を再会へと導く活動を行っていました。問い合わせが全くない時期もあったのですが、多い時には「身内が拘束されたから何とかしてくれ」など、毎日のように新規の依頼がありました。また、コロナ禍で境界線が封鎖されたことにより、2020年3月をピークに、もの凄い数の問い合わせが来るようになりました。7月頃には停戦が実現したため、民間人の保護に関する仕事はかなり減ったのですが、離散家族の再会事業に関しては、境界線の封鎖もあり、かなりの件数を扱っていました。
例えば、ウクライナ政府が管轄するエリアで暮らす子どもが、ドネツクに住む祖父母に会いに行ったものの、途中で境界線が封鎖されてしまい、親元に帰れなくなったというケースが非常に多かったです。他にも、ウクライナ政府が管轄するエリアにある病院で治療を受けていたドネツク在住の人が、境界線の封鎖で病院に通えなくなったケースもありました。
問い合わせてきた家族には、可能な限り手を尽くすと伝えた上で、氏名・年齢・生年月日、そしてどのような状況にあるのか、どこに住んでいる誰に会いたいのか、などの情報をリストにまとめます。この情報を当局と共有し、「これだけの数の人々が境界線の封鎖によって離ればなれになっているため、人道的見地に基づいてこの方たちの再会に向けて適切な処置を取ってください」と要請します。要請を必ず受け入れてくれるとも限らないのですが、2020年6月には紛争当事者間で停戦合意があったため、比較的通りやすい状況ではありました。いったん要請が通れば、離散家族に対して移動手段を提供し、境界線を越えたチェックポイントで待機している同僚と落ち合い、家族と再会させるプロセスを取ります。
家族からの要請があって訪問をする場合と、被拘束者がきちんと人道的に扱われているかを確認するためにモニタリングや情報収集しに行く場合があります。ただ、家族からの依頼で対応するというのが基本的な流れです。実際は、収容所へのアクセス方法がなかったことから頻繁に訪問することができませんでした。また、家族が面会を希望している本人が、本当にそこに収容されているかどうか分からない、といったケースも少なくありません。捕まってから消息が断たれた人もいて、どこかほかの施設に収容されている可能性も視野に入れて私たちは活動していました。
Q. こうしたICRCでの経験を経て、5年後のご自身をどのように展望しますか?
おそらく引き続き保護(プロテクション)の分野で働くことになると思います。私は基本的に何かやりたいというこだわりはあまりないのですが、なるべくロシア語圏、もしくは英語圏で働きたいと思っています。
今回ドネツクで働いていた時に、ロシア語が喋れない同僚が非常に大変そうにしていたり、現地の人に受け入れてもらえなかったりしていたのを見て、言語が通じることは業務の遂行に重要であることを痛感しました。実際、現地の人と話す時に通訳を介した場合と直接話すのでは、やはり距離が縮まるスピードが全然違います。そういう意味では、言葉が通じる場所で働きたいと思っています。
Q. 今後、ICRCで働きたいと思っている方たちに対して、何かメッセージがあればお願いします
モチベーションが高いことに越したことはないのですが、期待をしすぎると現場に行って現実に直面した時に、それが精神的な負担へと変わることがあると思います。人道支援をするんだ!という熱意に反して、実際は自分の思い通りにことが進まず、何もできない無力感にさいなまれ、上手に対応できなくなってしまった、というケースも耳にします。私は何事に対しても期待をあまりしないので、そうした問題は生じず、仕事のやりがいも見つけることができました。なので、過剰に期待するのではなく、実際に現場に行ってみて、様々な挑戦や制限がある中で自分ができることを見つけていくこと、そしてそう自分をコントロールすることが個人的に大事なことかなと思っています。
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